木魚歳時記第4568話

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 田越川は鎌倉と伊豆との中間、川越里にあり、この六代のここで斬られた後は後最後川と呼ばれていた。明治のころまでは蘆萩(ろてき)の間にまだ川の形を見えていたらしく、当年の文人蘆花(ろか)や樗牛(ちょぎゅう)がこのあたりを逍遥(しょうよう)の懐古の涙は彼ら文集に見られるが、彼らの詩跡も現在は鎌倉市内一隅の人煙に埋もれて、一基の史跡の碑をとどめるのみである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1209

         爽やかや知恩教院大谷寺

 「ボクの細道]好きな俳句(2308) 茨木和生さん。「雪催木桶二つに水張られ」(和生) 谷の水を生活用水として使用していた。さて、知恩院では、十年間を掛けた本堂の屋根の葺き替え工事が終りました。ボクは、この知恩院さんに奉職(3年)していたことがあります。ここで女房と出会いそして結婚しました。もう、半世紀以上も昔のことです(笑)。

道は開かれている
(石川 洋)