木魚歳時記第4907話  

 建暦元年十一月二十日,五年振りで都に還り入京の日よりももっと盛んな人垣の念仏で迎えられた法然は「されどここの法は人止めんとすれども法はとどまり給わず」と喜んだが、その翌年の新春早々から病床に就いた。五年間にさらされた潮風や谷の嵐が老躯にしみ込んだのであろうか。それとも、も早や穢土で使命を果たしたためか、老師は今に極楽へ参ると弟子たちも思い、病人自身も聖衆(しょうじゅ)の来迎(らいこう)に兼実や式子との再会を待ち設けていた。その枕べにまめまめしく侍る源智が、一日、師がいくらかお元気に見えた時、(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

       ぎんなんの一つ転んでミイラ仏

 「ぎんなん」は秋季となります。京都大原の奥、古知谷の阿弥陀寺には住職の弾誓(だんじよう)自らが石棺に入り即身仏となったと伝えられるミイラ仏(即身仏)が安置されています。ぼくも、昔、訪ねましたが! 遥拝しかできませんでした。