木魚歳時記第4897話 

 しかし親鸞には多くの自らを語ったものがあり、法然にはその門下の師を伝えたものが多い。非常に多い。むしろ多すぎる。門弟たちはその師をわが仏尊く、さまざまに書き立てて多くは伝説化し、またそれが当然に同一でないためそのどれを信じてよいのか迷う。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

            流星の光る時来て皆ひかる

 「流星」(りゅうせい)は秋季となります。始まりがわからない! お終いが見えない! のが流れ星であります。ですから、流星を視野に収めることは偶然のチャンスに恵まれた、と、よろこぶべきです! そこが稲光と違うところです。