木魚歳時記第4919話 

 全く無思想なただ温和に容易な修行とだけ見えた教えの底に、この畏怖すべき法力が秘められていたとは、その初め、法然以外誰が知っていただろうか。
 徳川家康がこれを借りて国内統一を企てたのは、法の真意を知らない全くの逆用で、ために法の真意はいささか誤られたかの観もないでは無い。「されどこの法は人これを誤るともこれを誤るとも法は誤られ給わず」といいたい。
(佐藤春夫『極楽から来た』 参照:4894 話
(付録章『一枚起請文』) おわり

         西方に「極楽」と在り秋うらら

   相棒には、数えきれない世話を掛けて来ました。しかし、そのお返しは「西方極楽」に行ってからになるかも(汗)。さて次回よりのブログアップは、筆者の都合により、週1回(月曜日)に変更させていただきます。次回:10月中旬を予定)。