木魚歳時記第4903話 

(二)法然は荒廃した勝尾寺の僧侶たちのために一同に法服を、また一切経なくなった寺のためにには自身のものを、京から取り寄せて寄進した。
 建暦(けんにゃく)元年の夏、後鳥羽上皇は石清水への行幸で一人の巫女(みこ)から法然房赦免の宣託があったとお聞き遊ばしたせいか、同年の七月の御夢想に、蓮華王院へ参詣あらせると、一人の高僧が近づいて参り、故法皇並びに高倉院の戒師であった法然を還俗(げんぞく)配流は故法皇のお咎(とが)めがございましょうと申すのであった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

       僧院にガム噛む少女夏去りぬ

  わたしがご先祖の墓を供養させていただきます」。秋彼岸の頃に一人の女性が寺を訪ねて来られました。自身で、できる形でご「先祖のお墓をお守りする」とのことでした。残暑に、すがすがしいひとときを過ごさせて頂きました。