木魚歳時記第4117話

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 (四)仏(ほとけ)の教えというのは、詮ずるところ小さな自我を否定し、これを滅却して大きな宇宙の法則の流れのなかへ自我を投げ入れることのように思われる。
もし仏の教えをこう受け取ってよいならば、小さな自我の大部分を占めている人間各自の智慧とというものも五十歩百歩の差で、正覚の仏の眼にはみな一様に無智といい去ってよかろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)782

      マフラーは三角巻よお父さん 

 ボクは、マフラーから、肌着、靴下に至るまで。視野に入るモノをローテーションで身につけます。まったく、ファッション・センスは「下品下生」(げぼんげしょう)です。俳号の「雲谷斎」(unkokusai)のごとく爺クサイかぎりです(汗)。ともかく、衣類のコーディネイトは、お母さんの指摘を受けて直します。

  さいちや(は)、なんでしごとをするか、
  さいちや、なむあみだぶで、しごとをするよ。
  これを、ごかい三(御開山)に、をすゑ(教え)られ、
  ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)