以上は永の年月の間に法然が感じ考え、また学んだ宗教的体験の蓄積たる聖教量から割り出した結論をおぼつかなくたどり、要約したものである。
往年智慧第一と称されたその人が、一文不知の尼入道の無智のともがらに身を落とし智者のふるまいをせず、初めて道を見だした。亦一つの大慈悲というべきであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)790
竜天に登るがごとき赤ん坊
「ボクの細道]好きな俳句(1872) 永田耕衣さん。「舎利舎利と枯草を行く女かな」(耕衣) 舎利(しゃり)とは、お釈迦さの遺骨のことです。「枯草」「しゃりしゃり」が効いています。さて、お寺に内孫が誕生(昨年8月)しました。可愛いい。生まれた時「八月を蹴り上げている赤ん坊」の句を作りました。すくすくと育っています。「鳩化して鷹となる日の赤ん坊」「三月のこぶし舐めたる赤ん坊」可愛いい(笑)。
ふとでるねんぶつ、
わしをだましに、とりに、きた。
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)
ふとでるねんぶつ、
わしをだましに、とりに、きた。
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)