木魚歳時記 第1933話

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 仲間の中におれば、遊戯(ゆうぎ)と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は甚(はなはだ)大である。愛(いと)しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ)

 「犀の角のようにただ独り歩め」とくりかえし述べられます。原始仏教において、独り修行することが尊重されたのはなぜでしょうか? とりわけ、後期仏教(大乗仏教)において「縁起」(えんぎ)、つまり「世の中はかかわり合い成り立つ」と説かれることに矛盾する気もするのですが? このことはいずれ追々触れることにいたしましょう。 

       春昼の野仏さまのねむたさう