2013-12-28から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第852話

つねに悲感を懐いて心ついに醒悟す 『法華経』(ほけきょう)にあることばです。悲観(ひかん)でなく、悲感(ひかん)とは「悲しみを大切にしなさい。たとえば、愛する人に裏切られたとき、それを憎しみに変えるのではなく、その悲しみを懐にいだいて、大切…

木魚歳時記 第851話

汝自らまさに知るべし 『大無量壽経』(だいむりょうじゅきょう)の中に、「修行僧よ、あなた自身が極楽浄土(ごくらくじょうど)の美しい風景を想い描きなさい」とあります。次に上記の「汝(なんじ)自(みずか)らまさに知るべし」と続きます。 仏教では…

木魚歳時記 第850話

徳の重きことは山の如く 『中本起経』(ちゅうほんききょう)の一節に「志(こころざし)の堅(かた)きことは地の如く。徳の重きことは山の如く」とあります。志(こころざし)を堅(かた)くして、徳(とく)を一つずつ積(つ)んでいけば、やがて、徳(と…

木魚歳時記 第849話

玉磨かざれば光りなし 中国の五経の一つである『礼記』にあることばです。「玉琢(みが)かざれば器とならず。人学(まな)ばざれば道を知らず」とあります。玉は磨(みが)くことをしなければ器(うつわ)とならない。器(うつわ)となるとは、人の世の役に…

木魚歳時記 第848話

百川海に学んで海に至る 中国の思想家楊朱(ようしゅ)の著した『楊子法言』(ようしほうげん)にあることばです。すべての川が海に向かって流れ、ついに海に至るように、学問も人格も<すぐれた人>を目標として、たゆまなく研鑽(けんさん)すれば、やがて…

木魚歳時記 第847話

我もまた田を耕すものなり 初期に成立した『スッタニ・パータ』といわれる教典群にあることばです。「働かざる者は食うべからず」。ただし、耕(たが)やすとは<心の田>を耕(たが)やすことです。 釈迦(しゃか)のことば、すなわち仏教経典は、釈迦(し…

木魚歳時記 第846話

和を以って貴しとなす 世界最古の憲法の一つといわれる、聖徳太子(しょうとくたいし)の「憲法十七条」にあることばです。 仏教教団のことを「和合衆」(わごうしゅう)と称します。また、お経に「和顔愛語」(わげんあいご)とあります。「いつもニコニコ…

木魚歳時記 第845話

水中には本来月影なし 『大乗本生地観経』(だいじょうほんちかんきょう)にあることばです。水に映る月を見て、いかにもそこに月があるかのような錯覚(さっかく)に陥(おちい)る。わたしたちは、求めなければならない真実の姿を忘れて、実体のないさまざ…

木魚歳時記 第844話

他山の石もって玉を攻むべし 『詩経』にあることばです。玉を攻(おさ)むとは玉を磨(みが)く意味です。「よその山からとれた石でも、玉を磨(みがく)くときの砥石(といし)となる」。という意味です。現在でも「もって他山の石とすべし」と使われます。…

木魚歳時記 第843話

初めも善く中も善く終わりも善し 『パーリ律蔵大品』(りつぞうだいほん)にあることばです。昔、竈(かまど)でご飯を炊いていたころは「始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋(ふた)取るな」。これが美味しいご飯を炊く上手な方法だと教えられてい…

木魚歳時記 第842話

おのれより出ずるものはおのれに還る 孟子(もうし)の『梁恵王』(りょうえおう)にあることばです。「自らが行ったり、口に出したり、心で考えたことは、すべて他人を通して自分自身に還(かえ)ってくる」という意味です。 仏教では「慈悲」(じひ)を説…

木魚歳時記 第841話

自らを観て他人の身を観よ 『仏説忠心経』(ぶっせつちゅしんきょう)にあることばです。上記のことばは少しわかり辛いかもしれません。「他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い」。と理解してください。 ぼくもそうですが・・自分の欠点や自分の行為…

木魚歳時記 第840話

智慧を得て明らかなるは 快し 『出耀経』(しゅつようぎょう)にある一節です。智慧(ちえ)というと、普通は知恵(ちえ)の字をあてます。物事に明るい、なんでも知っているという意味です。 仏教では、智慧(ちえ)のことを「般若」(はんにゃ)という字を…

木魚歳時記 第839話

諸々の悪をなさず諸々の善を行いおのれの心を浄くするこれ諸仏の教えなり 『法句経』(ほっくきょう)にあることばです。一見するとあたりまえのことに見えます。しかし大切なのは「心を浄(きよ)くする」であります。 「心を浄(きよ)くする」とは?それ…

木魚歳時記 第838話

地に倒るる者は地によりて立つ 『入大乗論』という書物にあることばです。七転八起(ななころびやおき)といえば、すぐにダルマ大師(だいし)のことを思い浮かべます。ダルマ大師は、中国の唐(とう)時代にインドからやってきて、日本にある「禅宗」(ぜん…

木魚歳時記 第837話

心ここにあらざれば視れども見えず 中国の『礼記』(らいき)という書物にあることばです。人間には、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる・・という感覚が備わっています。この五つの感覚器官によって対象となるものを感じ取っているわけです。しかし、いくら…

木魚歳時記 第836話

慈悲をもち相向かい仏眼をもて相看る 善導大師(ぜんどうだいし)の『往生礼賛』(おうじょうらいさん)にあることばです。 「慈悲(じひ)をもち相(あい)向かう」とは、もし自分が相手の立場であったら・・相手の立場と身になって考え行動することです。 …

木魚歳時記 第835話

独り生れ 独り死に 独り去り 独り来る 『無量壽経』(むりょうじゅきょう)にあることばです。 すこし冷めた見方と受けとめられるかもしれませんが?他のだれもが相手にしてくれなくても、両親や<つれあい>や、子や孫といった身内だけは頼りになる。願望的…

木魚歳時記 第834話

一心に専ら弥陀の名号を念じ 行住坐臥に時節の久近を問わず念々に捨てざるもの是を正定の業と名づく 彼の仏の願に順ずるが故に 善導大師(ぜんどうだいし)さまの『観無量壽経疏』(かんむりょうじゅきょうしょ)にあることばです。 「行住坐臥」(ぎょうじ…

木魚歳時記 第833話

多欲は苦なり 生死の疲労は貪欲より起こる 少欲にして無為なれば 心身自在なりと覚知す 『仏説八大人覚経』にあることばです。「多欲は苦なり」つまり「苦の原因は悪い欲望の集まりにあり」と説きます。悪い欲望とは、貪欲(とんよく)、煩悩(ぼんのう)の…

木魚歳時記 第832話

機(き)に因(よ)って法を説く 俗に八万四千の法門といわれるように、仏教の教えはなぜこんなにたくさんあるのでしょうか?その理由は、仏教が日本に伝わる2500年の時間的流れと、インドから中国(朝鮮)を経て日本に伝えられた、それぞれの国の文化が…

木魚歳時記 第831話

人は生まれたところによって、未来が決まるのではない。人はその行いによって、未来が決まるのである 原始経典に出てくることばです。釈尊(しゃくそん)の教え、すなわち、仏教の原点をそのままに伝えるものとして注目する必用があります。 古代インドは、…

木魚歳時記 第830話

遇ひがたくしていま遇ふことを得たり 親鸞(しんらん)上人の『教行信証』に出てくることばです。師法然(ほうねん)上人との決定的なお出会いによる、開眼・転身のことを指します。 「善智識」(ぜんちしき)とは、善(よ)き師、善(よ)き友に出会うこと…

木魚歳時記 第829話

身体がむらむらするのを、まもり落ちつけよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行いを捨てて、身体によって善行を行え。 原始教典といわれる『法句経』(ほっくきょう)に見られることばです。 インドの灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと、動物、植物、…