木魚歳時記 第837話

f:id:mokugyo-sin:20131228135355j:plain

心ここにあらざれば視れども見えず

 中国の『礼記』(らいき)という書物にあることばです。人間には、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる・・という感覚が備わっています。この五つの感覚器官によって対象となるものを感じ取っているわけです。しかし、いくら五感が研ぎ澄まされていても、第六番目に<心>がしっかりと定まっていなければ、対象をほんとうに感じ取ることはむつかしいのです。
 仏教では、精神集中することを「禅定」(ぜんじょう)といいます。これは自身の行動に<精神集中>できるよう<心>を磨きあげることです。ご承知の坐禅(ざぜん)も、この<心>を磨きあげる修行の一つです。

    蛇がゐて女房の声の裏返る