木魚歳時記 第834話

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一心に専ら弥陀の名号を念じ 行住坐臥に時節の久近を問わず念々に捨てざるもの是を正定の業と名づく 彼の仏の願に順ずるが故に

 善導大師(ぜんどうだいし)さまの『観無量壽経疏』(かんむりょうじゅきょうしょ)にあることばです。
 「行住坐臥」(ぎょうじゅうざが)とは、歩くこと、とどまること、すわること、寝ることです。つまり、人間の日常のすべてを指します。時節(じせつ)の遠近(くごん)とは、行為の長短を指します。それを<問わず>ですから、時間の長短にかかわりなく、常にアミダ仏を念ずること、すなわち「ナムアミダブツ」とお唱えすることが、アミダブツの願いにかなった「正定の業(ごう)」(正しい行為)となるのです。

    大津絵にへばりつきたる鱧の皮