2014-01-12から1日間の記事一覧
仏教の根本原理 釈迦は修行されますが、結果、悟りに至らず、菩提樹の下で体を休めておられました。そのとき、村娘スジャータのささげるヨーグルト(乳粥)をお飲みになり、①「諸法無我」(しょほうむが)・「すべてのものはかかわりあう」。②「諸行無常」(…
万人平等の思想 シッダルタは釈迦となられてから述懐されました「身分階級の最上位の刹帝利種(せっていりしゅ)に生まれた者が、器量小にして王位を望むならばそれは破滅に至るであろう」「人は、生れにより聖者となるのではない。人はその行為により聖者と…
悟りへの道 シッダルタは29才のとき、王位、妻子などすべてのものを捨て、沙門(しゃもん)すななわち修行者となるために出家(しゅっけ)をされます。この時代の沙門(修行者)の修行方法は大きく分けると二つあります。すなわち、①「禅定」(ぜんじょう…
大いなる放棄 放棄なくして獲得はない。最高のものを求めめるには一切を捨てねばならない。出家、乞食(こつじき)の生活に入るのは、誰に強いられわけでなく、もろもろの恐れからでもなく、財貨を求めるわけでもない。「生・老・病・死」の悩みを解決するた…
生老病死 どうして「生」と仏教がかかわり合うのでしょうか?それは、私に両親がなければ「私」は誕生していません。その後も、さまざまな<条件>のかさなり、つまり「ご縁」「出会い」がなければ、今、ここに「私」は居りません。このことは不思議な出来事…
求不得苦(ぐふとっく) 「四苦八苦」(しくはっく)といいます。仏教では大きく分けると四つ、細分すると八つの「苦」を説きます。「求不得苦」(ぐふとっく)」は「八苦」を総括する「苦」の根本です。それは、本来的に求めようとしても求められないものを…
出家(しゅっけ)の動機 人間、生まれたからには、老人となり、病を得て、そして死んでゆく。これは、万人平等に訪れる摂理であります。つまり、生まれることは、やがて、死ぬことを意味します。ただし、いつどこで、どのようにして・・これが予測できないだ…
四門出遊(しもんしゅつゆう) シッダルタがカピラ城(釈迦族の王城)から郊外に出られたときのことです。一日目に東門で老人と出会い。二日目に南門で病人と出会い。三日目に西門で死人と出会い。四日目に北門で沙門(しゃもん)すなわち修行者とお出会にな…
母との死別 王子シッダルタは、釈迦族の王、父浄飯(じょうぼん)と母摩耶(まや)夫人の長男として生まれます。ところで、当時、釈迦族の周辺は小国がせめぎあう状態にあり、そうした中で将来、国王となることへの期待は、幼いシッダルタに重くのし懸かった…
摂理(せつり) 釈迦族の王子シッダルタは、父浄飯王(じょうぼんおう)と郊外に出られました。そのとき農夫が畠を耕していると、土の中から一匹の虫が出ました。そこへ鳥が舞い降り、虫をついばんで去りました。それを見たシッダルタは深く考え込んだと伝え…
蓮と鶏 泥のなかから 蓮が咲く。 それをするのは 蓮じやない。 卵のなかから 鶏がでる。 それをするのは 鶏じやない。 それに私は 気がついた。(金子みすゞ) 『金子みすゞ全集「独楽の実」』より 月天心つきのひかりにてらされて
雀のかあさん 子供が 小雀 つかまえた。 その子の かあさん 笑ってた。 雀の かあさん それみてた。 お屋根で 鳴かずに それ見てた。(金子みすゞ) 『金子みすゞ全集「空のあちら」』より 小雀は出入自由や鳴子引
懺悔(さんげ) 昔、インドに鬼子母神(きしぼじん)という邪神(じゃしん)がいて人の子をさらい食う。それを知った釈迦は、千五百人いた鬼子母神の子の一人をお隠しになった。驚いた鬼子母神は狂気の形相で釈迦のところに相談に来た。釈迦は「多くの子ども…
非暴力 浄土宗を開かれた法然上人(ほうねんしょうにん)の父、漆間時国(うるまのときくに)は、岡山県美作(みまさか)地方の役人でありました。やはり地方役人であった源内武者貞明(げんないむしゃさだあき)の夜討に合い亡くなられます。法然上人九歳の…
寂滅為楽 寂滅為楽(じゃくめついらく)とは、「いろは歌」の「浅き夢見じ、酔(え)ひもせず」にあたります。生滅するものがなくなり、静まっていることが無上の安らぎであると説きます。つまり、悟りの世界のことであります。雪山童子(釈迦の修行時代)は…
生滅滅已 生滅滅已(しょうめつめっち)は「いろは歌」の「有為の奥山今日(けふ)越えて」に対比します。有為(うい)とは、煩悩(ぼんのう)つまり「世の中のものは常にうつり変わる」「生じたものは滅していく」という真理に目覚めていない迷いの世界のこ…
是生滅法 「雪山偈」(せつせんげ)の是生滅法(ぜしょうめっぽう)は「いろは歌」の「我が世誰ぞ常ならむ」にあたります。諸行無常(いろは匂へど散りぬるを)と似た意味です。詩句のリフレイン(反復)だと考えておきましょう。すなわち是生滅法(我が世誰…
諸行無常 「雪山偈」(せつせんげ)の「雪山」(せつせん)とは雪の蔵(くら)を意味します。つまりヒマラヤ連峰のことです。「偈」(げ)とは詩句(しく)、つまり七五調とか、五七調とかの音律をもった語群のことです。さて「雪山偈」(せつせんげ)にある…
伊呂波歌 ご承知の 「いろは歌」とは、音(おん)の異なるすべての仮名(かな)を集めて、同じ仮名を重複させずに七五調の四句47文字にまとめた誦詩(じゅし)のことです。作者、成立年代などに定説はないようです。しかし「色は匂へど、散りぬるを、我が…
雪山童子 雪山(ヒマラヤ)でひとりの童子が修行を続けていた。そこに鬼が現れて、諸行無常(しょぎょうむじょう)「すべてのものはうつり変わる」、是生滅法(ぜしょうめっぽう)「生したものは滅する」のこの二つの真理を教えた。鬼はさらに「おまえを俺に…
死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟 さて 「俳句は何の為に作るのか」。それはわかりません。病気をしてから所属していた句会(四つ)をすべてお休みして一年が過ぎました。自選では「ひとりよがり」になります。気持ちが緩むので句柄も痩せゆきます。で…
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明 俳句を作るのに、あらかじめ「言いたいこと」を用意する必要はありません。波多野爽波という俳人は「頭をからっぽにして対象と向かいなさい」「私が成功(句作)するとしたら、見るのと言葉とが一緒に出てくるときでしょ…
蛇のあとしづかに草の立ち直る 邊見京子 俳句を成功させるにはいろんな方法があるでしょう。その最低限必要な要素に、俳句の「型」を身につけることがあります。俳句の「型」とは、定型(五・七・五)、季語、切れ、リズム(韻律)のことです。この「型」を…
月光(こわ)が怕くて母へ逃げこみぬ 八田木枯 俳句には写生が大切といわれます。作者が見たもの、感動したものを読者に伝えるのではなく、読者に想像(共感)してもらう必要があります。作者は見たものを俳句の言葉にします。読者は作品のわずかな言葉から…
でゝ虫(はらわた)の腸さむき月夜かな 原 石鼎 「借り物」俳句の十年が夢のように過ぎました。ところで、昨年、肺癌の告知を受けました。これを機会に「借り物」俳句をなんとか卒業したい・・自身の言葉による俳句づくりをめざしたい・・話は別ですが、現在…
夏の海水兵ひとり紛失す 渡辺白泉 兼題(宿題)はわんさかと出ています、それにふさわしい十二音を探せばいいわけです。ならば、特効薬を見つけてあります。そこで、例の塚本邦雄氏の『うつつゆめもどき』のおでましと相成ります。それをペラペラ繰るうちに…
蚤しらみ生者に移る月夜かな 真鍋呉夫 俳句の「型」について。「型」とは、季語、定型、リズム、切れ、のことです。そのことは頭では理解できました。しかし実作に応用することは別問題です。すなわち、見て感じたことを俳句にしようとするとまったく「手も…
子ども失せ天神さまの泉かな 飯島晴子 ともかく「文字」にこだわりました。それこそがむしゃらに十七文字をこしらえました。その大部分は「机上俳句」そのものでした。写生が大切であり、吟行(ぎんこう)が大切であると教えられました。が、外を歩いて一句…
やはらかき母にぶつかる蚊帳の中 今井 聖 ですから初学の頃は、なんの迷いもなく,文字の選択こそ句作の「いのち」と信じて疑いませんでした。そんなとき、偶然出会った一冊の本があります。それは、当時、前衛派の歌人として高名な塚本邦雄さんの<毒舌いろ…
酒くれと桜の下の生き仏 前田吐実男 前章(第九話)では、ぼくが俳句を始めた「縁」(えにし)について触れました。そこで、この章(第十話)では、ぼくの句歴。つまり、ぼくの句作の「迷走」ぶりについて触れてみたいと思います。ところで、俳句は五・七・…