2019-10-14から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第3960話

しかし家に正室にない気楽さに、中年を過ぎた身で、或いは禁中宿直(とのい)の夜に女を連れ込んだり、さては大内の守護のひまに時雨にぬれつつ逢い引きしたり、御所仕えをしている宮腹(皇女の私生児)の女子を夜もすがら待ち明かしたり。(佐藤春夫『極楽…

木魚歳時記 第3959話

だから讃岐をも正室から生まれたとすれば、正室は頼政より早く身まかったとしても、しばらくは同棲の後であったと思われる。その後、頼政には少女時代から引き取って育てていた女を妾として家に置いた様子である。(佐藤春夫『極楽から来た』)634 短日や雲…

木魚歳時記 第3958話

頼政は二十一、二歳のころ左衛門尉(せもんのじょう)源斉頼(まさより)の女を正室に迎えて、その間に長子仲綱と二条院讃岐とをのこして彼女は死んでしまった。仲綱と讃岐とは長男と長女でゃあるが、間には数人の庶出らしい男子がはさまっていて年齢には可…

木魚歳時記 第3957話

わが袖は汐干にみえぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなしの一首を百人一首に中にとどめて、当時の「沖の石」の讃岐とうたわれた閨秀歌人で、小侍従と同じく二条院の女房であったから、これを通じて小侍従と相知る機会も十分にあるからである。しかし、この…

木魚歳時記 第3956話

(二)頼政と小侍従との交渉は、仁安元年、中宮亮重家家歌合せで二人が同席した時からはらじまったものであろう。それならば小侍従四十五歳、頼政は六十三歳の老である。もっと早くはじまっていたかも知れない。というのは頼政の女の讃岐は、(佐藤春夫『極…

木魚歳時記 第3955話

たらちねは恋に命を更(か)ふべしと知らでやわれを生(おう)し立てけむ と彼女は僧正遍昭の「たらちねはかかれとてしもうば玉のわが黒髪を撫でずやありけむ」の換骨奪胎(かんこつだったい)をこう歌ったのは、「お母さまはまさかわたしを、こんあ命がけで…

木魚歳時記 第3954話

いい寄る相手には決して拒まないというような女性であったらしく、彼女の愛人や浮名の立った相手は一々数えられないほどににぎやかなのが彼女の情史である。(佐藤春夫『極楽から来た』)629 西からの水路がひかる秋の暮 「ボクの細道]好きな俳句(1703) …

木魚歳時記 第3953話

彼女の行動は明治の新しい女、昭和のアプレゲールとやらに似ているが、実は当年のふるい女の典型で当時の人々がまだその栄を忘れない王朝のなごりをとどめている好色に人々を魅惑するものが多かったらしい。(佐藤春夫『極楽から来た』)628 小楢林どこかに…

木魚歳時記 第3952話

思うに、小侍従はこの美的サロンにあって主人以上にふるまっていたものであろう。同じ寡婦の下に寡婦が仕えるのだから虎を野に放った自由でである。 それに同じく寡婦とはいえ、多子はさすがにそう軽々しくは振る舞わないが、小侍従の方は至って身がるに散っ…

木魚歳時記 第3951話

大宮御所のある近衛河原というのは白河の里で、もと藤原良房(よしふさ)の別荘のあったところを、白河天皇が離宮として白河北殿と呼び、保元の乱には新院の拠って守ったところであったが、地は都の北、鴨川の東岸、東山の山麓につづくあたりにあって、都の…

木魚歳時記 第3950話

二、三年のうちに天皇の崩御にあったが、その縁故によって二代の后多子の大宮御所に奉仕して、石清水八幡の中谷、椿坊に住みながらも、局(つぼね・居住の一室)を御所で与えられていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)625 ぼつぼつとボクに手乗の四十雀 「ボ…

木魚歳時記 第3949話

婚家はなかなかの権門で良人(おっと)は貴人である。しかし夫の伊実は三十五歳ほどの壮年で亡くなった。 彼女は四十歳の寡婦の身を、女官として二条天皇の御所へ出仕して小侍従(こじじゅう)の名で呼ばれた。(佐藤春夫『極楽から来た』)624 寝待月どうし…

木魚歳時記 第3948話

はじめ当年の風習どおりに五つほど年少の藤原伊実(これざね)に嫁した。伊実は九条大相国伊通(これみち)の二男で近衛天皇の中宮呈子(ていし)や法然の師匠叡空と兄弟である。(佐藤春夫『極楽から来た』)623 爽やかに今日一日をなむあみだ 「ボクの細道…

木魚歳時記 第3947話

とはいえ、こういう厳格な家庭からは、とかく反動的に奔放不羈(ほんぽうふき)な人が出る傾向があるものだが、小侍従も生得の男好きのする美貌とその才気とで、女だてらにそれであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)623 うそ寒の醤油ラーメン来来亭 「ボク…

木魚歳時記 第3946話

第十四章 待宵の小侍従(一) 小侍従は石清水二十五代別当光清の女である。 この伝統深い名門に生まれ、さぞかし厳しい家庭のしつけのなかに育ったろうと思われるが、父光清は彼女の十五歳のころに身まかり、その後は兄たちの世話でしつけも幾分はゆるんだ。…

木魚歳時記 第3945話

「頼政は六孫王の嫡流で名誉の武将であり、かつ和歌の誉も高い」と竪者相応に先方の外交的辞令に答えて、こんな弱虫どもをというところを「さような艶男の固めた」と冷やかしながら相手にせず、勢いのいい平家のいる方に押しかけていったので、こういう敵の…

木魚歳時記 第3944話

と、云わせたのに対して、これを聞いた僧兵方では、何しろ、気負い切っている大衆のことではあり、こな泣き言をならべる弱虫どもの門を打ち破ってみても面白くないと頼政の哀訴を容れて、(佐藤春夫『極楽から来た』)620 雄鹿のざぶざぶと高野川 「ボクの細…

木魚歳時記 第3943話

「昔は源平、勝劣なかりき。今は源氏においては無きが如し。頼政わずかにその末に残りて、たまたま綸言(りんげん)を蒙り、勅令背き難ければ、この門を固むるばかり也。然れども(中略)神輿に向かい奉って弓を引き、矢を放つべきならねどば、門を開いて下…

木魚歳時記 第3942話

一見矛盾したように見える『平家物語』と『盛衰記』との書きざまには頼政に対する好意と否との差別は見えるが、事実は同じ事であり、二つとも少しもうそは書いていないように思われる。唱と竪者豪運との問答を『物語』は豪運の答えの方bかりを記し、また『…

木魚歳時記 第3941話

と、あまり潔くはないが、巧妙きわまる外交的哀訴である。さて、大衆を重盛の守る門の方へ赴かせたいうのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)617 鳥渡る町の外れに砕石場 「ボクの細道]好きな俳句(1690) 松尾芭蕉さん。「山路来て何やらゆかしすみれ草…

木魚歳時記 第3940話

「昔は源平、勝劣なかりき。今は源氏においては無きが如し。頼政わずかにその末に残りて、たまたま綸言(りんげん)を蒙り、勅令背き難ければ、この門を固むるばかり也。然れども(中略)神輿に向かい奉って弓を引き、矢を放つべきならねどば、門を開いて下…