(勝れた宝)「またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅(わず)かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地と見た人は説きたもうた。この勝れた宝が(つどい)にうちにある。この真理によって幸せであれ。」(スッタニパータ)
さて、繰り返すようですが、原始仏教経典の『スッタニパータ』は、四つの真理、つまり「四諦」(したい)と、「四諦」を実践するための八つの実践道、つまり「八正道」(はっしょうどう)について説かれたものであることを確認しておきましょう。
死ぬときは丸裸なり自然生
自然生(じねんじょう)=山芋