(苦行者に説く)「諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、言うだけで実行しない人であると、賢者たちは知りぬいている。」(スッタニパータ)
こうした「神」や「天」は大乗仏教の中にも取り込まれ、その多くは、ゴータマ・ブッダ(釈尊)と出会って釈尊に帰依(きえ)し、仏教の<守護神>として仏教経典の中に登場いたします。すなわち、釈尊の教えを信奉する釈尊の弟子となり、釈尊の教えを広める立場となるわけです。ところで仏教は、古代インドの一般庶民の生活・習慣の中に、これらの「神」「天」を崇め、「神」「天」を祀祭する儀式まで取り込むことはいたしませんでした。
螻蛄鳴くや京の七口粟田口
螻蛄(けら)