2014-01-03から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第1140話

梅宮大社 松尾大社を東に行くと梅宮大社(うめのみやたいしゃ)があります。この神社の祖神は酒解神(さけとけのかみ)ですから、松尾大社と同じく酒の神社であります。また、その名のとおり梅の花の名所でもあり、また、近年はカキツバタの名所としても有名…

木魚歳時記 第1139話

酒の神 嵐山宮西町にある松尾大社は、一帯を支配した秦氏の守護神社でした.。後には「加茂の厳神(げんしん)、松尾の猛霊(もうりょう)」と呼ばれるように、平安京鎮護の神として祀らました。松尾大社の杓子絵馬(しゃくしえま)に、次のことばをみつけま…

木魚歳時記 第1138話

猪神社 護国神社は、最初、和気氏一族の氏寺である神護寺(右京区高尾)の境内に祀られていましたが、明治19年に、御所の守護神社として現在地(烏丸下立売り)に移転しました。 清麻呂の姉の和気広虫(わっけのひろむし)は、いまでいう養護施設、つまり…

木魚歳時記 第1137話

真燎庵(しんりょうあん) 庚申堂(こうしんどう)からすこし南に行くと 、小さな庵(いおり)があり、 こんな張り紙がしてありました。 春の花は枝の下に 落ち葉の露は葉の前に沈む 逝水(せいすい)住(とど)まること能(あた)はず 廻風(かいふう)幾(…

木魚歳時記 第1136話

三尸(さんし) 京都の八坂の塔の近くに庚申堂(こうしんどう)があります。庚申信仰では、、庚(かのえ)申(さる)の日の夜中になると、体の中の三尸(さんし)という虫が脱けだして、その人の悪行(あくぎょう)の数々を、その人の命をつかさどる天帝に告…

木魚歳時記 第1135話

こきまぜて 今出川新町上るに「三時知恩院」という尼門跡の名刹(めいさつ)があります。そして向かい側に、同志社大学新町学舎が威容を誇っています。その瀟洒な建物上部に、キリスト教を建学の精神として同志社大学を創立された新島襄先生の言葉が刻まれて…

木魚歳時記 第1134話

人形の寺 誰に愛されしか 知らねども 愛された 事實こそ 汝が 成佛の誠なれ 使い古した人形を奉納することで有名な宝鏡寺には人形塚があって、そこに武者小路實篤氏の上記のことばが記されてありました。 「ありがたく 今日を生かされて 美しく眠る」 宝鏡寺…

木魚歳時記 第1133話

碑(いしぶみ) 嵯峨にある天竜寺の参道を歩いていると、救世観世音菩薩像(きゅうせいかんぜおんぼさつぞう)が祀ってありました。世界の平和を願って建立されたそうです。菩薩像のそばに、碑(いしぶみ)が二つ並んでいました。 「みんなみの雲染む果に散…

木魚歳時記 第1132話

雛罌栗 牛若丸伝説や火祭りで有名な鞍馬寺にお参りしてきました。鞍馬寺は、紫式部や清少納言や与謝野晶子とも縁があるそうです。ケーブルカーの待合所のところで与謝野晶子の言葉を見つけました。 「あゝ皐月 ふらんすの野は火の色す 君もコクリコわれもコ…

木魚歳時記 第1131話

閻魔さま 京都の千本北大路のあたりは、昔、蓮台野と呼ばれ、洛中洛外の境界でありました。無縁の死人(しびと)が捨てられていたこともあったとか・・これを見た小野篁(おののたかむら)が、無縁ほとけをとむらうために閻魔堂(えんまどう)の建立を発願(…

木魚歳時記 第1130話

北嵯峨 雨の北嵯峨は風情があります。その竹林を歩いていると、身も心も落ち着いてきます。 「そばにいるということは、心のそばにいること。如来(にょらい)さまは、いつも、待っておられる、お陰さまに気づくことです。 「ありがとう なんかいいっても う…

木魚歳時記 第1129話

子子子の子子子 鶏の鳴き声でありません。ちょっとした判じ物(クイズ)です。ヒントは十二支(えと)の子(ね)が三つ含まれます。それでわかりましたね? 答えは、「子子(ねね)という名前の女の子が飼っていた子猫」という意味になります。 「子猫を探し…

木魚歳時記 第1128話

忘却 ああでもない こうでもない なんともないこの道はちょっと遠いけど行けば行くだけのことはあるそんな仏の道 「心が変われば 人生も変わる」 「自分のしてしまった事だけれども、すごく後悔(こうかい)しています。相手の本当の気持ちが聞けますように…

木魚歳時記 第1127話

薬師さん 何をさがしてござる。答えの見つからないさがしものをしているあなたをみていると、つい声をかけたくなりました。あなたのそばには、いつも、私、如来(にょらい)がおりますよ。如来とは薬師仏(やくしぶつ)さまのことです。 「オン コロコロセン…

木魚歳時記 第1126話

驕慢 哲士君は障害をもつ画家です。哲ちゃんの絵画展を見に、嵯峨野の常寂光寺(じょうじゃっこうじ)を訪ねました。旧山陰線のトンネルが見える踏切を渡り、竹薮の小道をいくどか曲がるとお寺にたどりつきます。哲ちゃんと、哲ちゃんの飼っている亀と、哲ち…

木魚歳時記 第1125話

雲水 昨年の暮れから今年にかけてちょっとした出来事がありました。これを機に、近辺の「路上観察」をして歩くことを始めました。 「この池のお魚を捕ってはいけません お魚を可愛がりましょう」 山辺の小道に溜池があって、こんな張り紙がしてありました。…

木魚歳時記 第1124話

涅槃寂静 ミクロ(極微)の最たるものは涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)です。これは10のマイナス24乗という究極の短い時間のことです。 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の涅槃(ねはん)とは、煩悩(ぼんのう)の炎が吹き消された状態、つまり<悟りの…

木魚歳時記 第1123話

刹那 さて、ミクロ(極微)を示す漢数字についても触れてみましょう。刹那(せつな)は、10のマイナス18乗という、きわめて短い瞬間を示す仏教用語として用いられます。この世に存在するものは、一刹那ごとに生滅(しょうめつ)を繰り返していて実体がな…

木魚歳時記 第1122話

無量大数 不可思議(ふかしぎ)より、さらにひとまわり大きい漢数字(10の68乗)が無量大数(むりょうだいすう)です。この無量大数(むりょうだいすう)が、日本式数え方の漢数字(万進)としては最大の数と考えられます。(因みに、漢数字の位取りにつ…

木魚歳時記 第1121話

不可思議 漢数字のお話は、おなじような繰り返となりますからうんざりでしょう。しかしこんな話は、ほかで話題となることは少ないはずです・・辛抱して聞いてください。那由多(なゆた)のひとまわれ大きい漢数字が、不可思議(ふかしぎ)です。これは10の…

木魚歳時記 第1120話

那由他 阿僧祇(あそうぎ)のさらにひとまわり大きい数が那由他(なゆた)であります。10の60乗という途方もない大きな数値であります。 古代インドのことば、サンスクリット語の「ナユタ」の音写であります。那由他のほかに那由多の文字もあてます。経…

木魚歳時記 第1119話

阿僧祇 日本で用いられる漢数字の阿僧祇(あそうぎ)は、10の56乗として用いられます。さきの恒河沙(ごうがしゃ)つまり10の52乗よりも、ひとまわり大きな数字ということになります。 阿僧祇(あそうぎ)は、古代インドのサンスクリット語のアソギ…

木魚歳時記 第1118話

恒河沙 漢数字は、中国で発達した命数法です。日本で用いられる漢数字としては、一(10のゼロ乗)、万(10の4乗)、億(10の8乗)、兆(10の12乗)、京(10の16乗)・・と大きくなり、10の52乗に恒河沙(ごうがしゃ)があります。 恒河…

木魚歳時記 第1117話

漢数字 漢数字は、一、二、三、~十。百、千、万・・と数(かず)を表すのに使われる漢字のことです。○(ゼロ)と零(れい)を除き(唐時代以前にはない)、甲骨文字の時代より使用されてきたといわれています。 漢数字には、偏(へん)と旁(つくり)の意味…

木魚歳時記 第1116話

ローマ数字 漢数字を考える前に、ローマ数字について。ローマ数字は、Ⅰ(1)、Ⅱ(2)、Ⅲ(3)、Ⅳ(4)、Ⅴ(5)・・のように表されます。(ローマ数字をギリシャ数字と呼ぶのは誤りのようです) ローマ数字は「エリザベスⅡ世」などのように順序や番号を…

木魚歳時記 第1115話

アラビア数字 漢数字を考える前に、アラビア数字について。アラビア数字は、0・1・2・3・4・5・6・7・8・9 の十種類の数字のことです(0を除外するという考え方もあるようです)。ご承知のように、アラビア数字は十進記数法で用いられます。わが…

木魚歳時記 第1114話

数と数字 リンゴが、一つある、二つある、三つある・・この一つ、二つ、三つ、とは何か? それを考えるのが数(かず)のお話です。それから「ある」つまり存在(そんざい)について考えるのも数(かず)のお話です。一つ、二つとは? 存在とは? これはおも…

木魚歳時記 第1113話

仏教と数 明けましておめでとうございます。「門松は冥土(めいど)の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。こんな見方はともかくとして、年末と年始にキリトリ線をもうける習慣は、だんだんとうすくなりました。 さて、木魚のホームページも、おか…

木魚歳時記 第1112話

インドの図形 インド仏教では、物質をつくりあげる四大要素「四大」(しだい)を説きます。「四大」とは「地」(固さと保持)、「水」(潤滑と収集)、「火」(熱さと熟成)、「風」(動きと成長)のことです。さらにこれに「空」(さまたげられない)を加え…

木魚歳時記 第1111話

東洋の図形 東洋、なかんづく、中国においては、万物を構成する要素は、水・火・木・金・土の五行(ごぎょう)すなわち、五要素であると考えたようです。『唐鏡1』に「此の五常、天にては五緯なり、地にては五獄なり、人にありては五蔵なり、物にありては五…