木魚歳時記第4258話

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  第二十章 白山事件
(一)院の方でも平家でも互いに利用し助け合った協調的な数年の頂点が後白川院五十賀であった。それといのも建春門院が有力な紐帯(ちゅうたい)となっていたせいかもしれない。というのは門院の崩去と一しょに、遠く潜在していた疾病が発してこの協調を破るものが意外な所から現れた。導火線は山法師どもであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)915

      鵺の子どこが咽だか目玉だか

 「ボクの細道]好きな俳句(1999) 池田澄子さん。「日輪を隠す日光日日草」(澄子) 「日日草」(夏季)は、開花の期間が長いのと、なによりも、一日中咲き続けるところからこの名があるようです。日輪(にちりん)も見えないくらいに照りつける夏の太陽、それにも負けないくらい健気に咲き誇る日日草のたくましさよ。

  わたしや、あなたに、さいそくもろて、
  ときのさいち(そ)く、
  なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4257話

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 おん恨みはいつ消えるとも見えなかった上皇も三年目には新しい寵妃丹後局を見出し給うたが、天皇のおん悲嘆は消える日もなく宝算二十一でご多病に短いご生涯を終って母后の後を追わせられた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)914

       真夜中にびっしょり汗をかいている

 「ボクの細道]好きな俳句(1998) 池田澄子さん。「三十年前に青蚊帳畳み了えき」(澄子) 「青蚊帳」(あおかや)。作者のお若い時代のそれでありましょうか?(そう思います)蚊帳の色も、季節を迎えるたびに、畳むたびに色を変えてゆくことでしょう。それでも、蚊帳を吊る季節がくればそれなりの真似事はやってみたい・・

  わたしゃ、あなたに、こころをもろて、
  ときのさいそく、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4256話

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 そればかりか、お気休めにご病気も軽くいよいよ快方とばかり奏上して置いたのが、突然の崩去を聞こし召されて、当年まだ十五のこの君は終日おん臥所(ふしど)にこもらせて泣き暮らし給うばかり、お側近く仕える者どものお励ましに、やっとお気を取り直しあそばし、おん涙ながらに母后のご冥福のため親しく『法華経』を写させ給うた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)913

        教壇のをんな先生ゆすら梅

 「ボクの細道]好きな俳句(1998) 池田澄子さん。「恋文の起承転転さくらんぼ」(澄子) もちろん、起承転転(てんてん)がミソです ! 何が書かれてあつとしても・・あの「さくらんぼ」であるから許されるのです(と思います)。ところで、全学年(教員・児童で10名)という離村の小学校に、新任の「ゆすら梅」先生が着任されました。現実にはありえないでしょうが「起承転結」(きしょうてんけつ)では面白くもなんともない(汗)。


  さいちが、まいらせていただくごくらく、
  なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4255話

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 院のおん嘆きもさることであるが、もっとおんいたわしいのは高倉天皇で、身は六波羅の里内裡に平氏の人質のようになって、おん母后のお見舞さえ御意にまかせぬ。清盛は主上を召し上げられるのをあそれて行幸させ奉らないのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)912

       怖ひほど青鷺ぬつと目交に  目交(まなかひ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1997) 池田澄子さん。「旗日とやわが家に旗も父も無し」(澄子) 一転、これはシリアスな・・ようするに、よくわかりませんが、どこの家にも、「父」が居て、どこの家に[「国旗」を揚げる習慣があり、家系とか町内が存続してきた来た・・というのです。

  なんとなく、なんとなく、み(身)をたすけ、
  なんとなくこそ、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

 

木魚歳時記第4254話

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 この邦綱というのは院の側近ではあるが、また清盛のお太鼓持ちを兼ねて、疑えば清盛の院に潜入させたスパイかとも思える人物である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)911

     ひまわりのどこまでのびるかわからない
「ボクの細道]好きな俳句(1996) 池田澄子さん。「セーターにもぐり出られぬかもしれぬ」(澄子) セーターの配色を考えてから、髪のセットに出かけたい・・当然そうあるべきでしょう? さて、そんな単純な作品でしょうか? 誰でも、ふかふかしたセターに埋もれ、「いつまでもこんな幸せな気持ちで居たい」「幾度かそんなチャンスを逃してきた」「今度ばかりはこのチャンスを逃すわけにはゆかない」! 嗚呼

  をてらまいりわ、あじ(味)まいり、
  なむあみだぶの、あじをもろをて。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4253話

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 思えば二十年はただ一夢で、近年、安芸の海に、また熊野の山に、有馬の浴泉に、むさぼるかのように歓を尽くしたのも、ただ今日の思い出の悲しみを深めるあったかと、上皇のおん恨みは日増しに深くなるばかりで、お膳さえも召し上がらない始末であると側近の中納言邦綱が語っている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)910

       バックミラーすみに一匹てんと虫

 「ボクの細道]好きな俳句(1995) 池田澄子さん。「ひとびとよ池の氷の上に石」(澄子) ヒトは、蛇を見つけたら石をぶつけたがる! 外にも、池に氷が張っていたら(氷に石を投げて)面白がる・・まだまだヒトには(石を投げたがるクセ)が残っています。石器時代に狩猟をしていた名残でしょうか(汗)。

  たのしみ、なず(つ)かし、
  をや(親)にあり、こ(子)にあり、な(名号)にあり、
  これがたのしみ、なむあむだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

 

木魚歳時記第4252話

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  そうして七月八日崩去され、お年は三十五歳であらせた。春の日の花やかにお元気なお姿はまだ人々の眼底にありながら、女院は既に世に在(おわ)さぬのである。
 女院はかねて仏法に深く帰依されて蓮華王院のわきに法華三昧堂を建てて居られたのが崩去の後に完成したのでここに葬り奉った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)909

       向日葵の六尺ほども伸びにけり

 「ボクの細道]好きな俳句(1994) 池田澄子さん。「新宿のノエルのたたみいわしかな」(澄子) ふむ。ノエルとは? フランス語の降誕祭? 畳鰯(たたみいわし)は、イワシの稚魚を一夜干したもので、では、ノエルとの関係は? それは、読者の「感覚」ゆだねられます ! 本来「取り合わせ句」とはそうしたものでしょう?

   めにわみえねど、
   をやと、はなしを、するごとく。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)