いつもは仲の悪い南都が北嶺と歩調を合し、言外に北嶺の第一矢につづいて二の矢を射かけたことを語り、慈円が南都に働きかけたことを明かしている。慈円の法然に対する反感は、その著『愚管抄』の随所に現れているとおりだからこの想像に誤りはあるまい。(…
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