木魚歳時記第4458話

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  おん母建春門院の薨御(こうぎょ)このかた、おん母方平氏とおん父法皇との間に板ばさみになって、おん心安き日もなく、やがて法皇、鳥羽院の幽居には最もみ心をお悩まさせあったが、つずいて以仁王の薨去(こうきょ)、思いがけない福原への渡御、またあわただしい還御、そうして今度の南都の騒ぎなど、続々と起こる不祥事が、もともとご多病に、おん心やさしくましました上皇のおん寿命をちぢめ奉ったのであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1107

      洛北のちんとろ茶屋は春爛漫

「ボクの細道]好きな俳句(2198) 京極杞陽さん。「手でひねり点け手でひねり消す秋灯」(杞陽)あたりまえの動作をあたりまえに描いて成功する、その典型です。ふと「鳥の巣に鳥が入って行くところ」((波多野爽波)さんの作品を思い出します。

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった。(茨木のり子) 

木魚歳時記第4457話

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 この非常事で悪い年は暮れて、明くれば治承五年であったが、この新春は東国の頼朝の兵と南都の重衡の火とのために拝賀もご停止で主上のお出ましも音曲もなく、二日の宴酔もお取りやめであった。藤原氏の公卿は氏寺焼失のためみな引きこもっていた。
 そのさびしい正月の十四日、高倉上皇は御宇十二年、宝算わずか二十一歳で六波羅の池殿に崩御あらせた。
 上皇はおん心やさしい方で、おん父法皇には孝順この上なく、側近の臣たち下々一般までお慈悲深く末世に有りがたい君であらせたから、天下は上皇の崩御をいたみまつることは切実であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1106

      鳥帰る朝焼け雲に照らされて

 「ボクの細道]好きな俳句(2198) 京極杞陽さん。「ハンカチは美しからずいい女」(杞陽) 先に「シクラメンたばこを消して立つ女」(杞陽)の作品をご紹介しました。この「ハンカチは美しからずいい女」のモダニズム感覚に敬服します。

大切なことは、
たいていわかりきったこと。
わかりきったとは、
とかく忘れがちなもの。
(里見 弴)

 

木魚歳時記第4456話

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 九条兼実は興福寺を氏寺とする藤原氏の分かれの一人だけに、その悲嘆もまた大きくその日記には、
「七大寺已下悉ク灰燼ト変ズ、仏法モ王法モ滅尽シ畢(おわ)ルカ、凡ソ言語ノ及ブ処ニ非ズ、筆端ノ記スベキに非ズ、余コノ事ヲ聞イテ心神屠(ほふ)ルガ如シ、当時ニ悲哀父母ヲ喪(うしな)フヨリモ甚シ、ナマジヒニ生レテコノ時ニ逢フ、宿業(しゅくごう)ノ程、来世又タノミナキカ」
 と記したのは多少の文飾誇張はあっても当時の人々の実感であろう。
 しかし清盛はこの南都の事を南都の僧官の責に帰して僧綱一同を免官する強硬策に出た。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1105

      魚街道ここからさきは春爛漫  魚(とと)

 「ボクの細道]好きな俳句(2197) 京極杞陽さん。「貧乏は幕末以来雪が降る」(杞陽) 貧乏といっても!旧皇族? 貴族も豪族ま、明治も令和も・・コロナに翻弄されている。はやく「花の昼」となってほしい。

歩いたあとに
一輪の花を咲かせたい
(石川 洋)

木魚歳時記第4455話

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 (四)現代の我々にあってはただ文化史上重大な損失であった。戦争は昔も今も同じように好ましくないとしか感じさせないが、熱烈な仏教信仰に生きていたその時代の人々にとって大仏殿の炎上は世界の破壊を目のあたり見るこの上なく怖ろしい事件であった。そしてこんな現世に生き残るよりは、むしろ大仏殿で廬舎那仏(るしゃなぶつ)のお膝下で焼け死んだ人々をうらやむほどの気持ちさえあったかも知れない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1104 

        まくなぎに付きまとはれて狐坂 

「ボクの細道]好きな俳句(2196) 京極杞陽さん。「山陰のじやじやじやじや雨や秋の雨」(杞陽) 軽快なリフレインに魅力を感じます。この作者の作品に、独特の品の良さを感じる・・ぜぜでしょうか? 

捨てるということさえ
捨てよう。 
すると裸になれる。
(毎田周一)

 

 

木魚歳時記第4454話

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 聖武天皇勅願の総国分寺、鎮護国家の大道場、金光四天王護国寺も、藤原累代の氏寺たる興福寺も一切の財宝とともに、今は暁闇(ぎょうあん)の星かげの下に、ただ一やまの余燼(よじん)となって、朝風の通うところどころが赤く燃え残っている。
 重衡、通盛をはじめ官兵将卒一同は余燼(よじん)のやまをとり巻いて、ただ呆然自失し、畏怖に身をわななかせつつ声をのんでいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1103 

       満開の高野河畔や春おぼろ

 「ボクの細道]好きな俳句(2195) 京極杞陽さん。「電線のからみし足や震災忌」(杞陽) 関東大震災(大正12年)のことでしょう。震災の体験を懐古して「震災忌」の季語を用いられたとしたら、そのタイムスリップの独特の事例が試されます。

 「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、
名づけて極楽という。その土(世界)に仏まします。阿弥陀仏(あみだぶつ)と号したてまつり、今現に在し説法し給へり。」(『アミダ経』)

 

木魚歳時記第4453話

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  火は大仏殿にまで燃えうつり、煙に巻かれた群衆は、体力の弱い者から順々にあとへあとへ、廊下に倒れ落ちるころには、業火のなかにただらなぬ地ひびきがあった。
 それはこの阿鼻焦熱(あびしょうねつ)を救うすべを知らなかったのを慚愧(ざんき)するかのように,金銅十六丈の廬舎那仏(るしゃなぶつ)の頭部が、この業火の毒焔に溶け落ちたのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1102

     啓蟄や今日も巣ごもる正僧正

 「ボクの細道]好きな俳句(2194) 京極杞陽さん。「春風の日本に源氏物語」(杞陽)揚句の「源氏物語」を代えるならば、俳句がいくらでも作れる(汗)・・それ(手抜き)をしたらお終いです!

事おわれば化し去り、
時いたればまた現ず。
(『無量壽経』)

 

木魚歳時記第4452話

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 歩行も不自由な老僧や準縄(じゅんじょう)な修学僧、それにちごたち、女子供などは、ここならば助かりもしようからと、大仏殿や山階寺(やましなでら)の内へ先を争って逃げ込んで行く。
 大仏殿の二階にはざっと千人あまりも登った。敵の追い来るのを登らせまいと、梯子は取りはずして置いてあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1101

      隣からピアノの音や鳥帰る

 「ボクの細道]好きな俳句(2193) 京極杞陽さん。「シクラメン  たばこを消して立つ女」(杞陽) 一転、現代俳句としてまったく違和感がありません。虚子門下で活躍された作者にこの作品とは、ただ驚きのみです。

たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間に生まれてきた
かいがないじゃないか
(山本 有三)