木魚歳時記第4456話

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 九条兼実は興福寺を氏寺とする藤原氏の分かれの一人だけに、その悲嘆もまた大きくその日記には、
「七大寺已下悉ク灰燼ト変ズ、仏法モ王法モ滅尽シ畢(おわ)ルカ、凡ソ言語ノ及ブ処ニ非ズ、筆端ノ記スベキに非ズ、余コノ事ヲ聞イテ心神屠(ほふ)ルガ如シ、当時ニ悲哀父母ヲ喪(うしな)フヨリモ甚シ、ナマジヒニ生レテコノ時ニ逢フ、宿業(しゅくごう)ノ程、来世又タノミナキカ」
 と記したのは多少の文飾誇張はあっても当時の人々の実感であろう。
 しかし清盛はこの南都の事を南都の僧官の責に帰して僧綱一同を免官する強硬策に出た。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1105

      魚街道ここからさきは春爛漫  魚(とと)

 「ボクの細道]好きな俳句(2197) 京極杞陽さん。「貧乏は幕末以来雪が降る」(杞陽) 貧乏といっても!旧皇族? 貴族も豪族ま、明治も令和も・・コロナに翻弄されている。はやく「花の昼」となってほしい。

歩いたあとに
一輪の花を咲かせたい
(石川 洋)