この非常事で悪い年は暮れて、明くれば治承五年であったが、この新春は東国の頼朝の兵と南都の重衡の火とのために拝賀もご停止で主上のお出ましも音曲もなく、二日の宴酔もお取りやめであった。藤原氏の公卿は氏寺焼失のためみな引きこもっていた。 そのさび…
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