木魚歳時記第4451話

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 十二月二十八日の事で、折から寒風が激しく火は風を呼んで一つの火が八方の寺々に吹かれて飛び広がった。宗徒の勇気ある者はみな奈良坂や般若寺で討ち死にしていたから、防火に努める者もなく、生き残って歩ける者は猛火を見返りながら、吉野や十津川方面へ逃げ急ぐばかりであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1100

      僧の子の僧に供へし草の花

 「ボクの細道]好きな俳句(2192) 京極杞陽さん。「美しく木の芽の如くつつましく」(杞陽) ほんとうにそうです。春芽が生まれ、夏花ひらき、秋実を結んで、冬根を育む。「花蝶を招き 蝶花を訪ねる」この良寛禅師のお言葉が胸にせまります。

虫が鳴いている
いまないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと涙をさそわれる 
(八木重吉)

 

木魚歳時記第4450話

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 大将軍重衡は般若寺の門前に馬を立てて、
「あまりに暗い、火を出せ」
 と命じると、播磨住人下司次郎大夫友方という者が心得て、足元の盾を踏み割り、これをたいまつにして民家に火を放った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1099

       春めくや口で息する和尚さん

 「ボクの細道]好きな俳句(2191) 京極杞陽さん。「膝掛と天眼鏡と広辞苑」(杞陽) なんのことはない。高齢者によくある設定です(今も昔も大差はないでしょう)。作品がおおらかです。作者は元華族さん? 

たった一度しかない人生を、
おんとうに 生かさなかったら、
人間に生まれてきた
かいがないじゃないか。
(山本有三)

 

木魚歳時記第4449話

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 じりじり押されて行く衆徒のなかに、坂四郎永覚という音にひびいた剛の者の悪僧がいて、萌黄(もえぎ)おどしの鎧(よろい)帽子甲(かぶと)に身を固め、白柄の大薙刀(おおな訊きなた)を揮って馬の脚をなぎ倒し、兵の胴腹をぶち切り、同宿十余人の一隊をはげまし、暫く官軍の進撃を阻んで最後まで踏みとどまって居たが、あたりに味方がひとりもいなくなったのに気づくと、大薙刀を振りまわしながら集る矢を巧みにかわして夕闇のなかにを南に落ちて行った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1098

       浮草の半分青い物語

 「ボクの細道]好きな俳句(2190) 京極杞陽さん。「初湯中黛ジユンの歌謡曲」(杞陽) お屠蘇いただき、お節(せち)に舌鼓を打ち、それから、また、温泉に浸かりながら黛(まゆずみ)ジユンを聞く・・至福のひとときです。

おこるなしゃべるなむさぼるな
ゆっくりあるけしっかりあるけ 
(種田山頭火)

 

木魚歳時記第4448話

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 法師どもは徒歩で打ち物をとって白兵戦を主としているが、官軍は騎馬で機動力もあり弓矢を主にしているから、宗徒の数は官軍がまだ近づかぬ間に見る見る少なくなって行く。
 早朝から終日の交戦で、日の暮れ方には奈良坂も般若寺のとりでも敗れて衆徒は退散した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1097 

     春暁に鳩がごろごろ啼いている

 「ボクの細道]好きな俳句(2189) 桂 信子さん。「松が枝をくぐりて来たり初扇子」(信子) お座敷の遊戯に、扇子を飛ばせて競う遊戯があります。遊びなれない唐変木(ボク)が投げた扇子なら、室外まで外まで飛んで出たかも(汗)。

花はなぜうつくしいのか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ 
(八木重吉)

 

木魚歳時記第4447話  

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 (三)官軍の大将は頭中将重衡、中宮亮通盛を副将として、大和河内の兵、合せて四万騎を率い南都に攻め入る。南都の衆徒七千余人は老若を問わず、甲の緒をしめて、奈良坂、般若寺二ヶ所の路に豪を掘り、盾をかつぎ出し、さかも木を据えて防禦怠りなく迎え撃つ。(佐藤春夫『極楽から来た』)1096 

    つちふるやアナログ版のむき出しに

「ボクの細道]好きな俳句(2188) 桂 信子さん。「ゆるやかに着てひとと逢ふほたるの夜」(信子) この作者には、「窓の雪女体にて湯をあふれしむ」(信子)の作品もあります。男女間の機微を描かせたら達人の域と尊敬いたします。

昔は昔、今は今、
つうことがあるだ・・
この世つてものは
こうして生きているもの同志が、
一番大切でねえでか。
(真船豊)

 

木魚歳時記第4446話  

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 還都のことをすますと、平貞能を追討使として九州に派遣し、また知盛、資盛、清綱らを近江、伊賀、伊勢に派遣して、地の利を占めて京都への運上物を略奪していた近江の山下柏木らを討伐させ、知盛は十二月に入って山下や柏木を征服したが、興福寺の衆らに呼応して起こったのをここぞと、重衡を大将に大和、河内の兵を授けて興福寺を討伐させた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1095

    小坊んちゃんここよここよと初ひばり 

「ボクの細道]好きな俳句(2187) 桂 信子さん。「からうじて鶯餅のかたちせる」(信子) もともと鶯餅はその季節感と風味を賞味するものですから、鶯の形に似ているかどうか、それは問題外?

人と人のあいだを
美しくみよう
わたくしと人のあいだを
うつくしくみよう
つかれてはならない 
(八木重吉)

 

木魚歳時記第4445話  

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 こんな情勢のなかで遷都を望む声は日々に高まり、都を京都にかえせば遠地の動揺も近国の賊も平定するだろうという意見もあり、清盛も多数の意見の前にしぶしぶ我を折って十二月に十五日、ついに還都した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1094

      春浅し外科と内科とリハビリ科

 「ボクの細道]好きな俳句(2186) 桂 信子さん。「駅の鏡明るし冬の旅うつす」(信子) この作者としては、やや、ドッキリ感んの少ない作品です(笑)。まあ、旅の終わりはこのようでありたい。

人生はやり直すことができない。
しかし見直すことはできる。
(金子大栄)