木魚歳時記第4723話

f:id:mokugyo-sin:20220313180327j:plain 

  返々も本願をとりつめまいらせて、一念もうたがう御心なく、一声も南無阿弥陀仏と申せば、わが身をたとえいかに罪ふかくとも、仏の願力によりて一定(いちじょう)往生するぞとおばしめして、よよとく一すじに念仏を候うべきなり。われが往生はゆめゆめわが身のよしあしにはより候まじ、ひとえにほとけの御ちからばかりにて候べき。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1360

        婆ひとり雨なら雨の十夜寺

 僕の母は、1900年和歌山で生まれました。さて、十日十夜、お念仏をお唱えするのが「十夜」(じゅうや)です。11月の中旬の1日間にかぎり行事として行う寺が多いようです。母は竈(かまど)で「かやく飯」を炊き上げて、参詣の檀家さまにふるまっていました。1976年逝去・享年76歳。

 わしやなんともない、
 よばれるこゑにこころとられて、
 なむあみだぶつ。
 『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)