返々も本願をとりつめまいらせて、一念もうたがう御心なく、一声も南無阿弥陀仏と申せば、わが身をたとえいかに罪ふかくとも、仏の願力によりて一定(いちじょう)往生するぞとおばしめして、よよとく一すじに念仏を候うべきなり。われが往生はゆめゆめわが身のよしあしにはより候まじ、ひとえにほとけの御ちからばかりにて候べき。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1360
婆ひとり雨なら雨の十夜寺
僕の母は、1900年和歌山で生まれました。さて、十日十夜、お念仏をお唱えするのが「十夜」(じゅうや)です。11月の中旬の1日間にかぎり行事として行う寺が多いようです。母は竈(かまど)で「かやく飯」を炊き上げて、参詣の檀家さまにふるまっていました。1976年逝去・享年76歳。
わしやなんともない、
よばれるこゑにこころとられて、
なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)