これをも退してもまいるべきにて候に、また思い候えば、詮じてこの世の見参はとてもかくても候い屍(かばね)を執するまどいにもなり候いぬべし、だれとてもとどまりはずべき身にも候わず。れも人もただおくれさきだつかわりめにてこそ候え、そのたえまを思い候も、またいつまでぞさだめな きうえに、たとい久しくと申し候とも、ゆめまぼろしいく程かは候べきなれば、ただかまえてかまえておなじ仏の国にまいりあいて、はちすの上にて、この世のいぶせさをはるけ、ともに過去の因縁をかた り、たがいに未来の化導ををもたすけん事こそ返々(かえすがえすも)詮にて候とははじめより申しおき候いしが、(佐藤春夫『極楽から来た』)1359
老僧のうしろに眼あり雨安居 安居(あんご)
突然ですが、ブログのスタイルを少々変更いたします(思いつき)。さて。師僧(おやじ)は、1899年に奈良で生まれました。なぜか師僧(おやじ)の 背中には威厳がありました。ときおり、ボクは、おやじの背中を見て怖いと思ったことがあります。1982年遷化・享年83歳。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ
わしをほとけにするごをん、
なむあみだぶつ、ごをんうれし。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠 恭編)