保安四年、天皇はみ位を顕仁親王に譲って崇徳天皇とし、ご自身は上皇となってが、白河法皇が御在世で、政治には一切関与されない。 保延五年、女御に昇格した得子は、それまでは皇女ばかりであったのに、今度は五月十八日にはじめて皇子体仁(なりひと)を生…
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