待賢門院も翌年二月二十六日に出家したから、美福門院(びふくもんいん)得子が鳥羽天皇後宮に最後の勝利者として寵を専らにし、ここに禍根を張った。 いたいけない親王を位に即(つ)けたのも、勿論その母后への寵愛のためではあるが、これについては現代の…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。