木魚歳時記第4380話

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 五月十日、清盛はまた三百騎ばかりを従えて都に入り都民たちを騒がせが、数日後には三条高倉宮は配流になるという 取沙汰が都内に広まった。 
(佐藤春夫『極楽から来た』)1030 

      もうすこしあと五分だけ竈猫

 「ボクの細道]好きな俳句(2120) 波多野爽波さん。「玄関のただ開いてゐる茂かな」(爽波) 日常の雰囲気です。さて、薪(たきぎ)は燃えて灰となります。しかし、本来「薪は薪」「灰は灰」のはずです。昔は「おくどさん」つまり、竈(かまど)がありました。その傍(余熱)で、ウトウトする猫を見かけました。ところで、四季のありよう、日常の暮らしの変化に伴い、死語となる「季語」もあるようです(汗)。

  あなたぶうど(仏土)でわしゃまよい、
  わしも仏土にいりやほとけ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4379話

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 新宮の大衆はすぐにこれに応じて起(た)ったが、本宮の大江法眼という者は平家に属した祈祷師であったから、直ちに川を下がって新宮を攻めた。新宮、那智の大衆が大挙して大江法眼を迎え撃ってこれを破った。法源の甥の佐野法眼という者が事を福原に報じたのは、王の令旨が発せられてほぼ一ヶ月後、五月はじめの事であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1029

        寺の子の寺を継ぎたり竜の玉 

 「ボクの細道]好きな俳句(2119) 波多野爽波さん。「セルの袖煙草の箱の軽さあり」(爽波) ボクは、寺の五男に生まれました。病弱でしたが、師僧(おやじ)の後を継いで住職となりました。ボクの長男も、美大を出ましたがボクの後を継いで、同じ「塔頭」(たっちゅう)の住職を継いでくれました。「三代」にわたるバトンタッチです。仏さまのご加護です、ありがたいことです!

  わたしやあなたにめのたま(目の玉)もろて、
  あなたを見るたま、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4378話

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 恐らく、彼は八条院の蔵人になり、この大使命を帯びて、はじめて世に出た思いがしたのであろう。そうして新宮に帰ると大得意であった。新宮の大衆を信じて、性急にも事を明かした。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1028

       山裾を仄かに浮かせ山眠る  

 「ボクの細道]好きな俳句(2118) 波多野爽波さん。「夕焼の中に危ふく人の立つ」(爽波) 真っ赤に燃える壮大な夕焼けを眺めると、すべてのものが極微に感じられます。ましてや、夕焼けに照らし出され、此方の岸(この世)に生きてきたボクなど・・「知足」(足ることを知る)昨今です(汗)。

  今がりん十(じゅう)、わしがりん十あなたのもので、
  これがたのしみ、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4377話

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 行家は東奔西走して、摂津、河内、大和、近江の同族へ、遠くは甲斐の武田信義、信州の木曽義仲、陸奥の義経ん、四月二十七日には伊豆の頼朝に連絡して、よくその使命を果たしたが、ちょっとした間違いをしでかしてしまった。
 行家は多田行綱のようなすれっからしではなく、田舎育ちのごく素朴な人物であった。この種の人物には、またそういう人に相応な過ちがあるものである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1027

     さつきからごしごしごしごしと大根洗

「ボクの細道]好きな俳句(2117) 波多野爽波さん。「金魚玉とり落しなば鋪道の花」(爽波) 悲惨な状況が目に浮かびます。ところで、「金魚玉」を下げて縁日から帰る子らとか、帰宅してそれを縁側に吊るして風情を楽しむ風情は見なくなりました。「金魚玉」(夏季)の季語は「死語」となりつつある? 

  今がりん十(じゅう)、わしがりん十あなたのもので、
  これがたのしみ、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4376話

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 頼政が以仁王の令旨を奉じたころ、行家はあたかも都に出ていた。彼が熊野に居住して修験者たちの風俗行事に熟し、また旅に慣れていたのを利用して、この任務を与えられると同時に、八条院蔵人にも補せられたものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1026

      爺さんの風邪にすぐ効く葛根湯

 「ボクの細道]好きな俳句(2116) 波多野爽波さん。「赤と青闘つてゐる夕焼かな」(爽波) 「青」とは、夕焼雲にからまる、ドス黒い雲海のことでしょうか? さて、我が国の地名を辿ると、古代インドの女神伝説に行きつくことが多いようです。琵琶湖の「竹生島芸妓天伝説」についてもそうです。 

  りん十まだこの(来ぬ)。この(ぬ)はずよ。
  すんでをるもの。
  りん十すんでなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

 

木魚歳時記第4375話

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 これを諸国に伝達した十郎行家は、為義の末子で、はじめは義盛と名乗り陸奥十郎と称してした。末子であったため遠国に置かれていたのが幸いして、保元の乱にもかかわりなく生き残っていた。その後、彼は行家と名を改め、熊野別当が縁故であったのをたよって新宮に住み、新宮十郎行家と称していた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1025

       着ぶくれて坊主も罹る心不全

 「ボクの細道]好きな俳句(2115) 波多野爽波さん。「鳥威し雨に沈みてゐるもあり」(爽波) 最近の「鳥威し」には、いろんな工夫が見られるようです。さて心臓病の「心不全」にも急性と慢性があるようです! ボクは後者だそうです。つまり老衰のことでしょうか(笑)。急性とは、つまり、大往生ということ? ならば、ボクは、急性の方を希望したい(笑)。しかし、心筋梗塞なら激痛が・・後遺症が・・やっぱり「慢性」か? 

  わしのりん十(臨終)あなたにとられ、
  り十すんで葬式すんで、
  あとのよろこびなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4374話

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 この宮の平氏に対する日ごろの鬱憤(うっぷん)が、父法皇の鳥羽殿幽閉によって一段と昂(たか)まっているのを見た頼政は、事成就の暁は王を天皇として推戴し奉ると誘うて、平氏討伐の事を王に謀(はか)った。皇族を戴いて大儀名分を立てたのである。令旨は治承四年四月九日の日付で前伊豆守正五位下源朝臣仲綱(頼政の長子)の名を署して発せられた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1024

       中腹に煙ひとすじ山眠る

 「ボクの細道]好きな俳句(2114) 波多野爽波さん。「焼藷の破片や体を伝ひ落つ」(爽波) ところで「体を伝ひ落つ」とは? さて、落ち葉などで焼き芋をつくり熱々を頬張る瞬間は最高す。ところで、この頃、ボクは、食事の時、ぽろぽろとこぼします。「慢性臓器不全」つまり、老化でしょうか? 

  あさまし、あさまし、あさましや、
  ねんぶつもうすが一の手よ、
  なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)