木魚歳時記第4373話

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 第二十二章 埋れ木の実
(一)以仁王は藤原成子の生むところで、出自は必ずしも賤しくははない。しかし当時、平氏に圧倒されていた藤原氏の末流の出で、法皇の第二子でありながら、即位はもとより、親王にもなれないで、富裕な叔母君八条院の猶子とはいえ、女院の女房のふたりとの間に二男を持ってかかりうどの身の上であったが、三十になってやっと三条高倉に一家を構え、高倉宮と呼ばれていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1023

    仏閣も神社も押し並べ注連飾  注連飾(しめかざり)

 「ボクの細道]好きな俳句(2113) 波多野爽波さん。「パチンコをして白魚の潮待ちす」(爽波) 釣り人の魚を待つお話です。さて、お寺の屋根裏は、ボク(小3)の「秘密基地」でした。そこで『西遊記』『江戸川乱歩』などなど、師僧(おやじ)の書斎から持ち出した、奇書の類(たぐい)を読みあさりました。極上のスリルと「未知の世界」を味わいました(汗)。

  わたしや久遠のまよいでも、
  わしのおやさま久遠のおやで、
  久遠うれしやなみうあみあだぶつ。至福の
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4372話

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 彼は既に七十七歳になっている。今にして起たずば終世その機もあるまい。
 彼は上皇の第二皇子で不遇な地位に甘んじて八条院の猶子となって居られた以仁王(もちひとおう)を捧じ、八条院の二百ヶ所にわたる広大な所領を背景に、八条院の蔵人源行家(義朝の末弟)をして以仁王の令旨(りょうじ)を「東海、東山、北陸三道諸国ノ源氏ナラビニ軍兵等ニ」伝えさせての挙兵であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1022

     羊日を老舗名代の「いもぼう」で
             羊日(ようじつ)=1月4日  

 「ボクの細道]好きな俳句(2112) 波多野爽波さん。「曾て住みし町よ夜店が坂なりに」(爽波)。あの「寅さん映画」が思い浮かびます。さて、遥か天山(アルプス)を仰ぎながら、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の辿られたであろう『大唐西域記』の一地点に立つことが出来たのは、身に余るご縁のたまものと感謝をしています。写真=「天湖」。

  むねに六字のこえがする、おやのよびごゑ、
  慈悲のさいくなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4371話

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 平素相争う法師どもが一団となっての抗議を尻目に、ただ数日延期したばかりで、新院のご案内をして清盛が安芸に向かった留守に、平氏に対する満天下の反感を見落とさなかったのが、余人ならぬ頼政であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1021

     猪日はや風呂・飯・寝るの始まれり 
           猪日(ちょじつ)=1月3日

 「ボクの細道]好きな俳句(2111) 波多野爽波さん。「リボンの娘手つなぎくるや崩れ簗」(爽波) 「娘」(こ)と読 む? あるいは破調? さて、沿道に売る「哈密瓜」(はみうり)は、メロンの一種だそうです(写真)。気化熱を利用して冷えているから美味しい。また、ウイグル地域の夜のバザールはとりわけ魅力的でした!

  あさましの時のざんぎ(慚愧)をいただいて、
  もうすねんぶつあむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4370話

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 あたかもそのころ御譲位あらせられた高倉天皇は譲位後最初の社参先を、興福寺の末社加茂や延暦寺の末社石清水という先例を破って、厳島社と仰せ出された。これも清盛のきげんを取って、おん父上皇と清盛との間が少しでも円滑にというお心づかいであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1020

     狗日さて八十四となりにけり 
            狗日(くじつ)=1月2日

 「ボクの細道]好きな俳句(2110) 波多野爽波さん。「冬ざるるリボンかければ贈り物」(爽波) その時は、ウルムチからバスのツアーとなりました。途中、飴色に溶け残った古城(降雨量が極端に少ない)。あの『西遊記』に登場する「火炎山」(写真)にも立ち寄りました(笑)。

  をがめおがむ大悲のをやさまは、
  なつはしのなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4369話

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 妻栄子は夫亡き後は院の女房として丹後局と呼ばれたが、今選ばれて鳥羽殿で君側に奉仕中、三年目には法皇との間に一女覲子(きんし・後の宣陽門院)を生んだ。これもまた容易ならぬ才女で稀有(けう)の女政治家であった。法皇の晩年まで奉仕して摂政や関白を手玉に取とり、院の遺領を悉く彼女の生んだ宣陽門院に帰せしめ、
(佐藤春夫『極楽から来た』)1019

       一隅を灯す明かりや去年今年 一隅(いちぐう)

 「ボクの細道]好きな俳句(2109) 波多野爽波さん。「天高しやがて電柱目に入り来」(爽波) 広々とした一本道が目に浮かびます。さて、ボクは、昔(還暦の頃)に、中国の新疆、ウイグル自治区を訪れました。その時めぐり合った「現代画」(写真)が、今『木魚歳時記』を飾ります。不思議なめぐり合わせに驚きます!

  ねるも仏、おきるも仏、さめるも仏、
  さめてうやまうなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)
 

 

木魚歳時記第4368話

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 法皇のこのご信任に報いて彼はその後も院の打倒平氏の計画に参与して重きをなしたが、治承三年十一月、清盛のクーデターに際して解官され、更に遠流(おんる)に処せられたのを、追使の検非違使中原重成の手から脱走して仁和寺辺に潜伏中を、清水寺で捕えられて福原に送られ、出家したが斬られた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1018

       山寺は鐘と撞木で年惜しむ

 「ボクの細道]好きな俳句(2108) 波多野爽波さん。「巻尺を伸ばしてゆけば源五郎」(爽波) 巻き尺を伸ばしたところにゲンゴロウが居た。さて、この一年、ボクは「いろんなこと」がありました。さきのことはわかりませんが、くらべると「おまけ」(余日)みたいなものですから・・これ偏に仏さまのご加護のお陰と心から感謝をしています。

  凡夫で聞くじゃない、凡夫はばけもの、
  あなたわたしのこころにあたる。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4367話

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 業房は越前守成度(まさのり)の玄孫であるが、鹿谷の陰謀に連座して捕えられたのを法皇の懇請によって釈放された一人であったが、その翌々年春の除目(じもく)には正五位下左衛門に取り立てられ世人の耳目を聳(そばだ)てしめた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1017

      ゆく年を爺と婆とでありがたう

 「ボクの細道]好きな俳句(2107) 波多野爽波さん。「ちぎり捨てあり山吹の花と葉と」(爽波) どうしたのでしょう? 何かの異変が起こったのでしょうか? それにしても「ちぎり捨て」とはショッキング。さて、この一年間に、ボクにも、いろんなショッキングなことが起こりました。それでも、今、ブログをアップできています。仏さまのご加護のお陰です。ありがたいことです。

  わしが阿弥陀になるじゃない。
  阿弥陀の方からわしになる、
  なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)