木魚歳時記第4804話 

 というのは、摂取不捨曼荼羅(せっしゅふしゃまんだら)と名づけられた念仏宗の漫画的ポスターともいうべきもので弥陀の前に多くの人があって仏は光明が放射しているがその光明があるは横にそれを曲がって照らし、あるいは来ても本(もと)に引き返している。

(佐藤春夫『極楽から来た』)1438

           夕焼や探しに来ないかくれんぼ

 子どもの頃、毎日、缶蹴(かんけり)とか、隠れん坊(かくれんぼう)をして遊んだものです。こんもりした茂みから茂みへ、上手に隠れて遊びました。それはそれは楽しかった。そんな時は、鬼が来て、探し出して欲しいような、忘れていてくれるような・・微妙な気持ちで隠れていました。ぼくは、幼少より「けったい」な童子(わらし)でした。