木魚歳時記第4800話 

  僧兵たちもまた、慈円とほぼ似たような矛盾した状態に置かれた存在であった。地方荘園の出身者で正しく庶民であった彼らは、法然の教えが彼らの救いの救いのためにあることをおぼろげながらにも感じないのではなかったけれども、本来があまり思想的訓練のない彼らだから、だだそれぞれに自己の属している諸山の動向によって、ほとんど無自覚に行動している状態である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1434

         どこの子か両手で蝉を握りしめ 

 どこの子か? 岐阜の神童と呼ばれた、政利さん(故人)のことです! ぼくは、政利さんから俳句について教えてもらいました。ときには、スパークの飛んだこともありました(汗)。ぼくの俳句は「つぶやき」です。政利さんの俳句は「才能あり」でした。彼は、いつも、極上のクマ蝉を握りしめていました!