一時はさしもの念仏も退転したほどの容体で、やがては浄土へ帰るであろうともいい、遺戒文まで作ったが、老年のため回復が遅々としていただけで、しんの強いこの肉体と気迫に満ちた精神とは気候の温暖とともに順次快方に向かうと、気力も生じ、初めはあまり乗り気でなかった兼実の依頼にも応じようという気になって『選択 本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)という題名を考案した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1295
また来たらもう来て寝てる竈猫 竈 猫(かまどねこ)
「ボクの細道]好きな俳句(2393) 野見山朱鳥さん。「雉子鳴いて冬はしづかに軽井沢」(朱鳥) さて、もういちど「全世界の中で、私という存在は唯一つしかない。だからこそ、私という存在を大切にしたい」。これが「独尊」の意味です。あわせて<私>以外のすべてとも「共存」したい。「独尊」vs「共存」は、仏教の中核的な教えと発展します。
人と人を結ぶ時は
自分の意見をもたないことである
(石川 洋)