木魚歳時記 第954話

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修めなければ現われず

 『梵網経』(ぼんもうきょう)にあることばです。すなわち「仏性(ぶっしょう)はあっても、修(おさ)めなければ現れず、現われなければ道を成しとげたことにあらず」と説きます。
 また『涅槃経』(ねはんきょう)に「すべての生きとしいける者には仏(ほとけ)になる可能性を備えている」と説きます。人々は仏(ほとけ)に成る種子を宿していても、仏(ほとけ)になったのではありません。仏(ほとけ)に成るための修行が必要です。修行といっても特別のことではありません、仏(ほとけ)に成種子を発芽させるための障害物を取り除くだけです。この障害物とは・・仏教でこれを「煩悩」(ぼんのう)と呼びます。

      煩悩をジオラマにして残る雪