木魚歳時記 第1007話

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はきだめに えんど豆咲き
泥池から 蓮の花が育つ
人皆に 美しき種子あり
明日は何が咲くか (安積得也)

 人はみな「仏性」(ぶっしょう)といって、仏(ほとけ)となる種子(しゅし)を宿してこの世に生れてきます。なのに、どうして、みんな仏(ほとけ)と成れないのでしょうか? それはわたしたちが成長するにつれ、「煩悩」(ぼんのう)という欲望が育ち、仏性(ぶっしょう)の育つことを邪魔(じゃま)するからです。だれしも赤ちゃんや幼児のときの無邪気(むじゃき)さを持続することができないからです。しかし、人生、ターミナル(終末)に近づくと、赤子の時の無心さがよみがえってくるともいわれます。せめてターミナルのときくらいは「取った取られた」の欲望・疑心から開放されてお浄土へと旅立ちたいものです。

     羅にウソがごそごそうごいてる