(聖者とは)「自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。」(スッタニパータ)
さて<経典>の話に戻りましょう。ゴータマ・ブッダ(釈尊)がどのような言語で説法をされていたのか? それは興味のあるところです。これについて、文献で示されるわけではありませんが、釈尊の出生地の<マガダ語>で説法されたのでしょう。また、インド各地を遊行(ゆぎょう)して説法されるときは、古代インド各地のことばを用いて説法されていたのでしょう。
枯枝に男いつぴき油蝉