2013-12-19から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第262話

殿は 五位の勤めし 紅葉狩 五位鷺は図体だけ大きくて、あまり格好よくはありません。水辺に佇む白鷺が「ヨンさま」とすれば、五位鷺は場末酒場で呑んだくれる「シンさま」といったところでしょうか。 紅葉もそろそろ終わるころ、頭陀袋にカメラなど忍ばせて…

木魚歳時記 第261話

俳諧の 心なほいま 翁の忌 野ざらしの吟遊詩人・芭蕉の「生誕360年祭」が、ゆかりの伊賀(三重)で開催されると聞きました。また、11月は芭蕉忌(時雨忌、翁忌)でもあります。 「道は開かれている」(石川 洋) まさかこのぼくが俳句を始めるなんて! …

木魚歳時記 第260話

葉鶏頭 鬼門守りて オンソハカ 「オンソワカ」とは古代インド語で「そうありたい」と祈る呪文です。御苑の安泰を祈って葉鶏頭が燃えていました。 「八方ふさがりというが 天地はつきぬけている」(石川 洋) 「鶏頭の 入日に向けて 打って出る」。葉鶏頭を見…

木魚歳時記 第259話

花八手 灯るあはれや 夜の雨 八手の花?おぼろげな記憶しかありません。そこで訪ねて歩いたところ、それは身近な路地裏にありました。 「苦労をしたことがない人は自分のことを先にしたがる」(石川 洋) 格子戸の明かりに照らされて、白い核(さね)が浮か…

木魚歳時記 第258話

お日さまと ものみなうれし 小六月 蛙(かはづ)は春とか夏の季語です。でも小六月(小春日)ともなれば秋蛙が登場しても・・・来年までは待ちきれません。 「うっかりすると賞めてくださる人のすばらしさに気づかない 事がある」(石川 洋) 秋の日はつるべ…

木魚歳時記 第257話

落ち葉髪 女刹那に 固まりぬ 鏡の中に初老の自分をみつけて愕然とする。というより、一瞬、意中の男に「年齢」を見られてしまったとまどいか? 「失敗から立ち直るには 恵まれ過ぎた不幸に目を覚ますことである」(石川 洋) 類句に「落ち葉髪 女と男の 嘘く…

木魚歳時記 第256話

黄落や 歴史を拓く 少女像 落葉の海にたたずむ少女像。これがロダンの「考える人」なら絵にならないでしょう。 「手助けをしてくれる人があっても 淋しさを救ってくれる人はいない」(石川 洋) 災害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。あの状況に…

木魚歳時記 第255話

婆一人 雨なら雨の 十夜寺 (在家者が)この世で、念仏を唱えて十日十夜の善根を積めば、(修行者が)千年の行を重ねるにも勝るといいます。 「すべて偉大なるものは 小事のまごころからはじまる」(石川 洋) 十日十夜の別時念仏は、京都の真如堂が有名です…

木魚歳時記 第254話

極楽も かくやありなむ もみぢ山 全山紅葉。これもまた極楽世界です。茅ぶきの草庵に灯る一点の紅葉もまたしかりです。 「人と人を結ぶ時は 自分の意見をもたないことである」(石川 洋) かって「炎天や 近くて遠き 解脱門」という句を詠みました。そして「…

木魚歳時記 第253話

万物の 実相みたり 破蓮 この世で、蓮の花ほど清楚で気高くて美しいものはありません。それはまさに極楽世界そのものです。 「人生に特効薬はない 一つ一つの積み重ねの上にしか 花も実もならない」(石川 洋) 秋、荒涼とした破蓮(やれはちす)風景を目に…

木魚歳時記 第252話

七五三 嫁も姑も 神の内 孫たち(3人)の七五三はもう済みました。この日ばかりは、楊句のお二方もにこやかで・・・ほっといたします。 「人ほど冷たいものはないが 人ほど暖かいものもない」(石川 洋) ぼくは坊主の正装で、大黒さんは白無垢で、なんとな…

木魚歳時記 第251話

大根の 引き易きやう 育ちける まるで抜いてちょうだい。 と、土の中からちょっと肩を出している大根・・・一つ抜いてはナムアミダブツと唱えたくなります。 「邪魔をする人は邪魔をされる」(石川 洋) あの泥土から、どうして、あんな純白の大根が育つので…

木魚歳時記 第250話

茶の花や 蜜盗人の ひとしきり そうであったかもしれません。こんなことが臆面もなくいえるのは、こんな場面が今は昔となったからです。 「‘ありがとう‘という言葉が物の大切さを教えてくれる」(石川 洋) 「風の子においでおいでとお茶の花」 これ散文?俳…

木魚歳時記 第249話

恥づかしや 天狗団扇の 薄紅葉 この蛙手(かえで)は「天狗団扇」と呼ぶそうです。あの天狗さまが手にされている大蛙手のことです。 「執らわれ出すと さがしてまで心配したくなる」(石川 洋) 「団扇」(うちわ)は夏の季語。そうなると楊句は季重ね?天狗…

木魚歳時記 第248話

芒原の どこも動かぬ 弥陀浄土 風わたる芒原。灰色の雄狐が坐っています。亜麻色の雌狐もそばにいるようです。なぜか銀狐は死んだように動きません。 「地を養えば花は自らひらく」(石川 洋) 芒原の風景と出会うと、なぜかロマンチックになります。晩年と…

木魚歳時記 第247話

是がまあ へたから熟す カリンかな 花梨といえば、すぐ思い浮かぶのは「カリン酒」のことです。強い芳香とすぐに腐って落ちるさまは「諸行無常」の典型ともいえましょう。「吸う息では笑えない 人生の明るさは吐き出すことから生まれる」(石川 洋) 「栴檀…

木魚歳時記 第246話

空の果て 水の底まで 暮の秋 日本シリーズ観戦(テレビ)で、「道のはて空の下まで」という宣伝が目に入りました。そして考えついたのが楊句です。類句・類想でなくとも、こんなのは邪道でしょうか? 「出来ない事としないことを 混同してはならない」(石川…

木魚歳時記 第245話

おれ流に 肴ならべて 今年酒 或る人から「思い込みの強い人ねえ…」といわれました。つまり、ぼくのことです。前後左右を見ないというか、聞く耳持たないというか…結果、かなり淋しい人生でありました。 「悲しいことが多いのは 自分のことしか分らないからだ…

木魚歳時記 第244話

コスモスの よき地よき野に 育ちける コスモスは、ギリシャ語で、飾りとか、美しいという意味だそうです。別名、秋桜(あきざくら)とも呼ぶようですが、ぼくは「コスモス」の呼び名が好きです。その可憐さにぴったりです。 「歩いたあとに一輪の花を咲かせ…

木魚歳時記 第243話

種瓢 なんのこっちゃ 丸裸 植物園でごつい実を見つけました。「ヒョウタンノキ」と書いたありました。ただし「瓢箪木」とは違う亜熱帯性植物の実だと思います。堂々とぶらさがっていました。 「生きづまりが多いのは 自分が裸になれないからだ」(石川 洋) …

木魚歳時記 第242話

やや寒や 和尚の意地も 小半時 ぼくは何事にも興味を持つタイプですが、いまだかって長続きした覚えがありません。つまり、三日坊主です。俳句が2年半も続いたのは例外のケースです。 「心配することが多いのは 今をけんめいに生きていないからだ」(石川 …

木魚歳時記 第241話

終焉の 花から花へ 秋の蝶 春の蝶にくらべると、秋の蝶には一種の哀れさが漂います。それはなぜかといえば、花も蝶も終焉(しゅうえん)すなわち死に臨むときを迎えようとしているからです。 「花 無心にして蝶を招き 蝶 無心にして花を訪ねる」(良寛) 木…

木魚歳時記 第240話

老僧の 後ろに目あり 夏安居 佛教大学を退職するとき、「心が自由となる暮らしがしてみたい。」なんて宣言をいたしました。そこで『西遊記』のパロディーのつもりで始めたのがこの『最遊戯』です。 「ドーナツの真ん中には穴が<ある>。でも穴をよくみると…

木魚歳時記 第239話

陽炎や デゴイチ吠えて めらと燃え (再掲) 衆生無辺(むへん)なれども誓って度せんことを願う。煩悩(ぼんのう)無辺なれども誓って断ぜんことを願う。法門無尽(ほうもんむじん)なれども誓って知らんことを願う。無上菩提(むじょうぼだい)誓って証せ…

木魚歳時記 第238話

こほりどけ 昨夜のことの 嘘くささ (再掲) 願わくばこの功徳(くどく)を以って、平等一切に施し、同じく菩提新を発(おこ)して、安楽国(あんらっこく)に往生(おうじょう)せん。 十番目は「総回向偈」(そうえこうげ)であります。これまで、この「日…

木魚歳時記 第237話

かなかなに 釣られてたどる 隠し水 (再掲) 如来(にょらい)の光明は、遍(あまね)く十方世界(じっぽうせかい)を照らして。念仏(ねんぶつ)の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨てたまわず。 九番目は「摂益文」(しょうやくもん)であります…

木魚歳時記 第236話

紅梅の 濃すぎるほどに 門跡寺 (再掲) (前略)ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候(そうろ)わず。(中略)智者の振舞(ふるまい)をせずして、ただ一向…

木魚歳時記 第235話

木食の 裾でふくらむ 羽抜鳥 (再掲) その仏の本願(ほんがん)の力は、名を聞きて往生せんと欲すれば、皆ことごとく彼の国に至って、自(おのず)から不退転(ふたいてん)に到る。 七番目は「聞名得益偈」(もんみょうとくやくのげ)であります。その意味…

木魚歳時記 第234話

一滴の 一音凍てる 行者滝 (再掲) 経典を拝読することを「読経」(どっきょう)ないし「誦経」(じゅきょう)ともうします。経典を目で確かめ、声に出して拝読する場合は「誦経」(じゅきょう)というのがいいでしょう。 いままで、(1)~(5)の「偈文…

木魚歳時記 第233話

蝋飴の ひつじひねりや 歳の市 (再掲) 無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千万劫(ひゃくせんまんこう)にも遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。我れ今見聞し授持(じゅじ)することを得たり。願わくば如来(にょらい)の真…