木魚歳時記 第233話

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蝋飴の ひつじひねりや 歳の市 (再掲)

 無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千万劫(ひゃくせんまんこう)にも遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。我れ今見聞し授持(じゅじ)することを得たり。願わくば如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん。

 

 五番目は、「開経偈」(かいきょうげ)であります。経典を拝読する直前に唱えるのがこの文(もん)です。身も心も清浄となり、過ちを悔い改めたわたしたちは、身も心もこの上ないいい状態となり、いよいよ経典を拝読いたします。そこで、まず経典を両手にいただき、うやうやしく香に薫じてからこの文(もん)を唱えます。
 釈迦の説かれた教典にめぐり遭うことは、たとえ数百年生きたとしても適え難い幸せであります。今、現に、その経典にめぐり遭えた幸せを感謝しつつ、教典の真意(真実義)を正しく理解するよう努めることが大切です。
 「経典」とは、釈迦ないし「釈迦の跡を踏む者たち」の説かれた説法の<集大成>と考えられなす。しかし、そのいずれもが、釈迦の精神を受継いだ「真理」(真実義)ですから、経典とは「釈迦の教え」(真実義)と考えましょう。