木魚歳時記第4831話 

 しかし聖覚は師の教えにも深く、従ってこのときの師の心をもまた、我があさましい心をそのまま受け入れてくれる人など世には無いものと思い決めて悩んでいた善信の驚きと喜びとをも、傍らにいた聖覚は随喜の思いに額を垂れて見ていた。聖覚はそういう万魂の詩人の資質をうけている人であったから。
(佐藤春夫『極楽から来た』)

        羅に嘘がごそごそうごいてる  嘘(うそ)

 「羅」(うすもの)は夏季です。相棒と2人暮らしが8年となります。さて、ぼくは、相棒のことを「おい」と呼ぶことがあります(汗)。家族が居るときは「お母さん」と呼びます。ところで、あらためて、相棒の名を呼べるか? 照れくさい。嗚呼(汗)