当時の人の観念としての斎宮も斉院も神に嫁ぐのだから、室に入っては神の妻として奉仕するというわけ。従って一身の貞潔を旨とするものであった。斎院の初代嵯峨天皇の有智子(うちこ)内親王はすこぶる史記漢書に渉(わた)り、兼ねて画と詩文に達して居られた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1347
昼が来てすぐに日暮や二月尽
「ボクの細道]好きな俳句(2447) 矢島渚男さん。「日陰雪待伏せのごと残りをり」(渚男) 庇の北側に残った雪は「しぶとい」。消えそうで、しかし、どうかすると春まで残ります。昔、嫁が、姑(しゅうとめ)の「いじり」に堪えたのと似ています(汗)。
わたしや、あなたの、こころをいただき、
なむあみだぶつと、もをすこころを。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)