木魚歳時記第4682話

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 義経が窮鳥となって奥州藤原氏をたよったのは、もとの安全な古巣に帰ったものとして極く自然の成り行きである。しかしこの他意のない落ち着きどころさえ、疑い深い頼朝とっては恕(ゆるし)難いものであった。
 頼朝は奥州藤原氏の強力をおそれて常に背後を衝かれる疑いと懼(おそ)れとを抱き、現に義経がこれを利用しょうとしたこともあったが、藤原氏には積極的にその気はなかった。
 もし頼朝がそのつもりなら、藤原氏はこれを討伐するよりもむしろ弟義経を育ての恩を感謝し同盟して幕府の一翼として方が得策であったろうと思われる。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1319

             素わらじの僧ナムナムと寒念仏

 「ボクの細道]好きな俳句(2419) 矢島渚男さん。「黒塗りの昭和史があり鉦叩」(渚男) 「鉦叩」(かねたたき)は秋季です。さて、ボクの長兄は大戦(2次)の終り、当時、仏(フランス)領であった、ラオス(印度支那)で亡くなったそうです! そこで戸籍上六男のボクがお寺を継ぎ、やがて息子が住職を継いでくれました。ありがたいことです!

「仏の心とは大慈悲これなり」
(『観無量壽経』)