木魚歳時記第4654話

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 『遺戒文』を見ると、一身の没後なにもかもきれいさっぱりと散じて跡なくなり、唯門門弟らが睦まじく各自一心に念仏生活に徹することが理想で、吉水教団の第二世などはまったく念頭になく、むしろその解散を期待していたやに思える。この法然の志が当年も現今も果たしてどれだけ行われているか作者は知らない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1293
 
        老僧は狗日生れの八十五  狗日(くじつ)= 1月2月 

 「ボクの細道]好きな俳句(2392) 野見山朱鳥さん。「裸子や涙の顔をあげて這ふ」(朱鳥) フツーの父子のかかわりでしょう? さて、仏教の教えの中に、菩薩道(ぼさつどう)・つまり「共存」があります。「独尊」と「共存」は、葉っぱの裏表のようなものです。ですから「独尊」と「わがまま」とは違います。ボクの場合、多くは「わがまま」だから困ります(汗)。 

人はみとめられるところから
心をひらく 
(石川 洋)