法然は慎んで拝諾した。当時六波羅の里内裡に居らせた高倉天皇のご受戒のことが、清盛あたりから山の座主明雲などに洩れ、上皇の法然に対する殊遇が妬みの種となって、後年の迫害に育ったのかも知れない。上皇の恩が仇(あだ)になろうとは、上皇もそこまでは思い及ばれなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)838
ブロンズの少女の像や猫柳
「ボクの細道]好きな俳句(1925) 山田弘子さん。「凍解の土いとほしく納骨す」(弘子) 育った自身の故郷(北国)に帰り、両親を納骨されることになったのでしょうか? さて、前回、ブログ筆者は「花」の名前を知らない。と、申しました。ボクはブログ掲載写真の、ほぼ、100パーセントを植物園で撮影します。ところが「花」の表記がカタカナです。学術的なことは理解できますが・・日本の「花ことば」と比べるなら違和感があります。
わたしやあなたの、なむあみだぶつ、
これをもろたが、わしがよろこび、
まむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)