牛飼いダニアがいった「いまだ馴(な)らされていない牛もいるし、乳を飲む子牛もいる。孕(はら)んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牡牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」(スッタニパータ)
「未だ馴らされていない牛」とは、放牧の習慣に馴れていない未熟な牛たちを指すわけです。未熟な牡牛たちは<種の保存>の本能でうごくであろうし、そうした牡牛や牝牛の集団の中には、おのずから牛たちの争いも生まれるでありましょう。それが放牧された牛たちの<ありがまま>の姿なのです。