師は答えた「未(いま)だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む子牛もいない。孕(はら)んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牡牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」(スッタニパータ)
「愛欲」の執着から解き放された<悟りの境地>を、釈尊は上記の比喩において示されたのでしょう。筆者は(後のインド社会の)カースト(身分)制度の芽生えが、すでに、古代インドにおいて存在したと推察いたします。しかし、釈尊のもとに集う信者たちの集団においては、身分による差別は存在しない。つまり、集団が<和合社会>であることの宣言と受け止めたいものです。
老人のしみ皺たるみや黄砂降る
皺(しわ)