木魚歳時記 第1899話

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  「池に生える蓮華(れんげ)を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである.。」(スッタニパータ)

 蛇が南アジアではおなじみの生きものであるように、インドの代表的な花といえば蓮華です。さて「愛欲」について。仏教でいう「愛」とは、すなわち、喉(のど)が渇けば水を欲するように、最も根源的な<渇き>を満たすもの、すなわち「渇愛」(かつあい)として説かれます。さて、たびたび登場いたします修行者=比丘(びく)とは、悟りを<乞う者>の意味となります。私(ブログ筆者)は、ここでいう修行者とは「尊き師」すなわち「釈尊」(しゃくそん)すなわち「釈迦」(しゃか)を指すと考えています。

      すつくりとののさまのごと松雪草

                     ののさま(幼児語)=仏さま