木魚歳時記 第89話

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厄払ひ 壬生と吉田と 盧山寺に

 「トライしていますが…」。小雪さんの<野望>は思うようにはいかないようです。「野望は野望、現実は現実ですから…努力を続けることが大切です」。そう返信しました。

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 心、尽くした人は(くう)と読むでしょう。
 わたしたち<さくら>といえば、絢爛と咲く<さくら>の花を連想します。しかし、春、花が咲き葉を茂らせ。夏、実を結び。秋、葉を散らせて裸木となる…どれも<さくら>の「本質」であります。すなわち<さくら>という「独立自存」のものはないわけです。
 暑いとか寒いとか、好きだとか嫌いだとか、幸せとか不幸だとか・・・いろいろといいます。しかし、海水浴を楽しむ人にとって夏の暑さは?スキーを楽しむ人にとって冬の寒さは?花がきれいだ、暑い、寒い…こうした分別で、さくら、夏、冬の本質を示すことはできません。こうした分別を超えて「みんなの中にわたしがある。わたしがあってみんなもある」。「多即一、一即多」。この関係自体が「万物の本質」である。これが「空」(くう)の意味となります。