木魚歳時記第4915話 

 滅後十五年、嘉禄(かろく)三年六月、叡山の僧兵らが無残にも、法然の廟を破り墓をあばいて屍を鴨川に遺棄しようとした事があった。遺弟信空らが集まってこれを防ぎ、その夜遺骸を西山に移し、翌年粟生野(あおうの)に荼毘(だび)した。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        爽やかや万物すでに仏たり  

 「爽やかや」は秋季となります。さて、山中では、草木虫魚を始め、生きとし生けるもの、皆、仏のように和(にこ)やかに過ごしているようです! さて「こだわり」という煩悩を捨て切れないで居るぼくは、ブログ、俳句を始めて20年、86歳(要介護)の年齢が見え隠れします(汗)。

木魚歳時記第4914話 

 住房の上方に地を相して埋葬し、墳墓に廟(びょう)を設けた。地は狭く廟はささやかだが、参詣の人々は日夜あとを絶たない。法然は死しても、法は止まらず、念仏の教えはいよいよ盛んであった。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        月天心月に焦れし求道僧 

 「月天心」は秋季となります。流浪の地が佐渡ヵ島であり、時期が満月の秋であり、その人が法然坊源空であり、島に犬の遠吠えがあれば「場面」はそろいます! ぼくの「妄想癖」は相変わらずに治りません! 

 

木魚歳時記第4913話 

 正月二日から食欲不振になったが、両三年来衰えていた目と耳はとは、逆に以前の聡と明とにかえり、念仏もいつもより盛んになっていた。十一日には極楽の聖衆の来迎(らいこう)、二十日には阿弥陀仏の顕現(けんげん)があったらしい。二十四日の宵から二十五日の午前中の懸命な高声念仏(こうしょうねんぶつ)は昼に近づい声が衰え、時々高声がまじるだけになり、年来所持の慈覚大師の九条の袈裟(けさ)を着けて頭北面西(ずほくめんさい)、光明遍照(こうみょうへんじょう)の文を誦しながら、太陽の中天にかかつた時、、寿八十で示寂された。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

                    蓮の実の飛んで三千大世界

 「蓮の実」は秋季となります。さて、敗荷(はいか)、つまり、蓮の実の飛んだ跡を観るとわかります! 三千大世界は大袈裟(おおげさ)としても! 放映されるドキュメント「世相」の現状には驚きます(汗)。いまほど、人間社会の「共存」が求められる時代はありません! 

木魚歳時記第4912話   

 (三)要はただ、つべこべ申さず理屈なしに信じさえすればよい、というのだとわたくしは「一枚起請文」(いちまいきしょうもん)を読む。理屈は信を築かず、かえって迷いを生じ人を不幸にするからであろう。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        フェレ肉に濃い垂れ汁を糸瓜の忌  

 雨台風の被害が治まるのを祈る以外にありません!、それにしても、毎回、順路となる府県への対策は、日本列島の「老朽化」対策と並行して「特別法」として策定して対応すべきでしょう! 

木魚歳時記第4911話 

 「但し、三心四修(さんじんししゅう)など申す事の候は決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う中(うち)に籠(こもり)り候なり、此外(このほか)に奥深き事と存ぜば二尊のあわれみにはずれ本願に洩れ候うべし、念仏を信ぜん人はたて一代の法をおくよく学すとも、一文不知(いちもんふち)の愚鈍(ぐどん)の身になして尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらにおなじうして智者のふるまいを せず一向に念仏すべし、云々」
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        夕焼の中に父母在しける

 「夕焼」は夏季となります。自身が高齢者でありながら、しかし、高齢者だからこそ! こうした感傷句も詠みたくなる? なんて、あい変わらず「唯我独尊」の性癖は治りません! まっ、楽しく暮らしています(笑)。

木魚歳時記第4910話 

 頭をもたげ、力のない手に筆を執り先ず・・・
「もろこし我朝(わがちょう)にもろもろの」
 と書き起こしつづいて一気に書き流した・・・
「智者たちの沙汰し申さるる観念の念にもあらず、又学問をして念仏の心を悟りなどして申す念仏にもあらず、ただ往生極楽の為には南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生するぞと思いとりて申す外には別の仔細候はず」
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        老僧の長舌相や花梨の実

  「花梨の実」は秋季となります。お知り合いから「くわりんの実」を頂戴した時は「くわりん酒」をつくりお裾(すそ)分けしたこともあります! そうです、ぼくの説教は長いので皆疲れます(笑)。

木魚歳時記第4909話 

 「もったいない父とも母とも慕い参らす師を、極楽へお送り申すのは心もとのうございますが。せめてはお教えの奥義をお書き残しいただいてお形見、生涯の身の守りとも致しとうございます」
 げに寄るべもない彼である。父師盛も他からは実子かとまで疑われながら育てた弟子である。源智お言葉んも実感がある。法然も動かされた。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

       ポリープの一つや二つばったんこ

 「ばったんこ」は秋季となります。さて、ぼくは、咽喉の一部に腫瘍めいたモノがあり、経過観察を続けながら、はや、4年が経ちました! 歯磨きのたんびに、気にならない! といえばウソですが! まあ、ナムナムと暮らさせて頂いています! 有難いことです!