木魚歳時記第4652話

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 人の多く集まることは魔縁を生ずるものだととも教えていた法然は、群集心理の危険を知って集団の生活を禁じて、各自の心中に各自の道場を築くように望み、また門弟らの平和を望んで遺産が争いの種となることをおそれたのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1291

         何事もどこも変らぬ大晦日

 「ボクの細道]好きな俳句(2389) 「ボクの細道]好きな俳句(2389) 田中裕明さん。「空へゆく階段のなし稲の花」(裕明) 裕明さんの代表作です。作者(早世)の辞世の俳句と受けとめました。そこで、知らなかった稲の花を、ネットで検索し、それを眺め、田中裕明さんを偲びました。田中裕明さんはボクの好きな俳人の一人です。この一年『木魚歳時記』を閲覧いただきありがとうございました。

なんのこっちゃ
丸裸
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4651話

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 はじめは相弟子で後には法然の弟子になった信空には、多年給仕の弟子となり、懇意を表さんためにといって黒谷の本坊、洛中の領地一所などを贈っている。これは法然が先師叡空がはじめに贈与と記したのを後に進呈と書き改めて死後に法然に残したものを、法然が吉水に住するようになってからもまだ保有していたものを、昔日の相弟子に先師のかたみとして伝えたものであろう。その他みなそれぞれに然るべき因縁の人にそれぞれの物が追贈されるようになっていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1290

          どこの子か落葉の山に潜り込む

 「ボクの細道]好きな俳句(2388) 田中裕明さん。「櫻のはなし採寸のあひだぢう」(裕明) さて、採寸とは、新調のスーツでしょうか? 女性なら仕立物の会話は最大重要となるでしょうが、男は、たいてい照れくさいのか、さりげない会話を交しながら採寸は店の方におまかせする・・男性と女性では脳内の仕組みが違うようです(汗)。

行きづまりが多いのは
自分が裸になれないからだ
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4650話

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 その遺書の内容というものは、わが歿後は各自に別住して一所に供居すべからずと群居を戒めている。また追福を修するために集まる場合にも論争して不和を生じないように慎めと戒め、つづいて建物や資材などに関していさかいを生じては見苦しいと戒めて、信空、遵西((じゅんさい)、円親、長尊、西坊尼公(何人だか明らかでない)へそれぞれ理由を記して資材の分配遺贈の事が記されている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1289

      おしまいは身ぬちの汚れ煤払ひ 身内(みぬち)

 「ボクの細道]好きな俳句(2387) 田中裕明さん。「口笛や沈む木に蝌蚪のりてゐし」(裕明) 「蝌蚪」(かと)とは「おたまじゃくし」のことです。春の季語となります。水辺を覗いたとこる沈んだ古木におたまじゃくしが遊んでいました。なんだか、今日はいいことがありそうです。ふと、無邪気に遊ぶ子どもたちを見て詠まれた作品でしょうか。

心配することが多いのは
今をけんめいに
生きていないからだ」
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4649話

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 兼実が気をもむのも無理はではなかった。平素は元気で、
「生けらば念仏の巧つもり、死なば浄土に参りなん、とてもかくても此身には思いわずらう事ぞなき」
 いつも快活な生活者であった法然も、この時は身の亡き後を考えたものか、四月八日病床内で『歿後遺戒文』(もつごゆいかいもん)という門弟たちに宛てた遺書を作ったほどであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1288

           極月のごろりころがる東山     

 「ボクの細道]好きな俳句(2386) 田中裕明さん。「遺句集といふうすきもの菌山」(裕明) 「菌山」(きのこやま)と読むのでしょうか? すなわち「茸山」ことでしょうか? 俳句をたしなむようになると・・だれでも句集は視野にあるものです。それにしても「遺句集」とは! いろんなことが頭をよぎります(汗)。

悲しいことが多いのは 
自分のことしか分らないからだ
(石川 洋)  

 

木魚歳時記第4648話

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 (四)上人の病気はほんのかぜのように聞いていたのに、冬のはじめからいつまでからいつまでも引きこもり、受戒を請うが授けられない。平素はお丈夫でも、お年は争えず、先年来時々おかぜを召すし、何しろ六十五歳という高齢の上人だからと兼実は気が気ではなかった。 
(佐藤春夫『極楽から来た』)1287

          歳晩の猫けとばすなけとばすな     

 「ボクの細道]好きな俳句(2385) 田中裕明さん。「正午すでに暮色の都浮寝鳥」(裕明)  「浮寝鳥」は冬の季語となります。さらに「都」とありますから、居つき鳥となった浮寝鳥を詠った? 美しいけれども淋しい作品です。

苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるからだ
(石川洋)

 

木魚歳時記第4647話

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 折から上人は前年の冬以来、悪質の風邪で臥床していたのを、兼実はもしこの上人をこの世から失ったら、何をたよりに生きようかと心もとさに、幸いに上人が快癒したのを見て、上人の教義念仏要門の編輯(へんしゅう)を永遠の鑑(かがみ)ともkたみにも書き残して頂きたいたいと申し出た。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1286

         軽トラに焼いも~やあつあつ     

 「ボクの細道]好きな俳句(2384) 田中裕明さん。「菊の日のまだ膝だしてあそびゐる」(裕明) 菊人形の頃ともなると・・わが子の遊ぶ姿を詠った作品が多く残されています。どうても、裕明さんの早世と結びつけてしまいます(汗)。

つらいことが多いのは
感謝をしらないからだ
(石川 洋)
     
 

 

木魚歳時記第4646話

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 その翌年の二月十九日、兼実は父忠通の忌日法要に法然を招じた。
 兼実はもとから求道心の深い人で、今までにも、仏厳、覚智、貞慶(じょうけい)、明恵、さては舎弟の慈円などに道を聞いていたが、一度法然を知って以来は、法然でなければ夜も日も明けないような気持ちで、こう道楽のように受戒するのもただ上人を召す名目で、実は上人の温容に接したいのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1285

          突然の愛宕隠しや雪時雨   

 「ボクの細道]好きな俳句(2383) 田中裕明さん。「白魚のいづくともなく苦かりき」(裕明)  掲句の作者の気持ちがわかります。というのは、ボクも白魚の「踊り食い」はできません。飲み込む時を想像すると・・アホや(笑)。

魂に恥じない行為をする、

それが喜びになります。

(マザーテレサ)