兼実が気をもむのも無理はではなかった。平素は元気で、
「生けらば念仏の巧つもり、死なば浄土に参りなん、とてもかくても此身には思いわずらう事ぞなき」
いつも快活な生活者であった法然も、この時は身の亡き後を考えたものか、四月八日病床内で『歿後遺戒文』(もつごゆいかいもん)という門弟たちに宛てた遺書を作ったほどであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1288
極月のごろりころがる東山
「ボクの細道]好きな俳句(2386) 田中裕明さん。「遺句集といふうすきもの菌山」(裕明) 「菌山」(きのこやま)と読むのでしょうか? すなわち「茸山」ことでしょうか? 俳句をたしなむようになると・・だれでも句集は視野にあるものです。それにしても「遺句集」とは! いろんなことが頭をよぎります(汗)。
悲しいことが多いのは
自分のことしか分らないからだ
(石川 洋)