木魚歳時記第4240話

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 おん賀の二日目、五日は、六日にはまだ後宴があり、今日は非公式にややくつろいだ側近だけのお祝で、関白以下も宿直装束(とのいしょうぞく)で、衛府の面々も院の随身も正装でなく思い思いの意匠に晴れを競うて着飾っていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)897

       老僧の誘ひ出したる女郎蜘

 「ボクの細道]好きな俳句(1982) 池田澄子さん。「雪積む家々人が居るとは限らな」(澄子) 雪国のことでしょう。一時的に住む人が居ないのか? それとも僻村で住民が離村をしたのか? ボクは後者であると考えます。豪雪がやって来そうなのに、山奥のへき地は留守が心配だ・・そんな感じが伝わってきます。最近、こうした「山奥の一軒家」が注目されています(笑)。

     ほとけから、ほとけもろをて、
  なむあみだぶつ。
  なむあみだぶが、わしがほとけよ。
  とこ(床)のなかでも、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)  
 

 

木魚歳時記第4239話

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 つづいて楽器をと主上が仰せ出され、関白が御笛こたか丸を箱の蓋に入れて天皇に奉り、左大臣が、琵琶、内大臣がソウの筝(こと)、中宮大夫が笙(しょう)などで伴奏し奉り、左中将知盛と雅賢とがつけ歌を歌った。高倉天皇は、おん笛の名手であらせた。この演奏の間、法親王をはじめ公卿やその共人まですべて禄を賜った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)896

     足早の遊行の僧や虎耳草  虎耳草(ゆきのした)

 「ボクの細道]好きな俳句(1981) 池田澄子さん。「百日紅町内にまたお葬式」(澄子) 庭木の「百日紅」(さるすべり)は、7,8月ごろの、町内のどこかに咲いています。あのあざやかな真紅(または純白)は遠くから見つけることができます。まるでお葬式があるように・・自宅での葬儀の「習慣」が、急激に変りりつつあります。「諸行無常」(しょぎょうむぞう)です(汗)。

  さいちがあさまし、ひと(他人)しらの(ぬ)、
  さいちがよろこび、ひとしらの(ぬ)。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4238話

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 院のおん前を三度ひきまわすと、左大臣が乗れと命じて綱をとっていた者たちがそれぞれに乗りまわしてご覧に入れ、左大臣が下りろと命じて面々を下りさせ、院の御前にひき立てさせて後、左大臣はみ厩(うまや)に曳き立てさせて、み殿の舎人に渡させた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)895  

     まひまひの回るとき来てみな回る

 「ボクの細道]好きな俳句(1980) 池田澄子さん。「氷片を見つめ見つめて失いぬ」(澄子) ボクはウイスキーの水割りを思い浮かべました、が、しかし、流氷のごとく失いたくない! そんなものに伴侶の存在があると思います。まさかと思いうちに、氷がみるみる小さくなり、やがて消え果てるかも・・去年の今頃、そんなことが起こりました。お互いにさきのことはわかりません。

   ありがたや、うれしさ(や)の。
   なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4237話

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 式場の入口には諸方からお祝いの献納品が積み上げてあったが、それとは別に今日お招きを人々から、院に御馬を十頭、平あやの移し鞍を置いて献上した。
 近衛の舎人(とねり)たちが綱を引き、殿上の衛府、左中将知盛(とももり)、中宮亮重衡(しげひら)、左少将資盛(すけもり)や番長以上の者が口を意気昂然たるものがあった。所がらもわきまえず牧同然にいななき勇むものもあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)894

        蟻の列ああ忙しいいそがしい

 「ボクの細道]好きな俳句(1979) 岡本 眸さん。「六月や草より低く燐寸使ひ」(眸) 田の雑草を刈り燃やすためでしょうか? まさか、作者が、虫除けの防虫材に火を灯そうとマッチを・・ではないか? さて、蟻は、エサを見つけると、フェロモンを出して仲間を呼ぶとか? つまり、蟻たちは仲間の出すフェロモンをたどっている。ところで、つまるところ「蟻の列は、何処に行こうとするの?」。それは「極楽から来て極楽に還る」のです!

  うれしさわ、をやにまたれて、
  わしやまつばかり、
  まつもたのしみ、またれるも。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4236話

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 この日、院のおん座には唐錦(からにしき)のしとねを、また玉座には東京(とんきん)の錦のしとねを参らせていたという。
 他の舞人や衆人たちにも、それぞれに禄(祝儀)を賜った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)893

       ただ灼けて水をごくごく呑んでいる

「ボクの細道]好きな俳句(1978) 岡本 眸さん。「川幅に水が窮屈きんぽうげ」(眸) 金鳳花(きんぽうげ)は春季となります。小川の両岸に生い茂る「きんぽうげ」により、より細くなったように見える小川は、それでも春の到来がうれしくて歌うように流れて行きます。さて「DON 'T PANiC ! (あわてるな)」。とは、『SFコメディー』広告で見たことばです。ぼくは「おべんちゃらのS氏」と、噂されるほど(職場では)忖度(そんたく)居士でした(汗)。

  さいちがしあわせ、ぶつになる。
  しゅ上(衆生)さいどの、ぶつになる。
  なむあみだぶつと、もうすほとけに。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4235話

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 右の肩に掛けて舞うような身振りで院を拝し奉った。これが下賜品を拝受の時の作法なのである。時にとって無上の面目に見えて、周囲の人々もさぞやうらやましいと思ったのであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)892 

        鹿の子の尻尾ふりふり河川敷

 「ボクの細道]好きな俳句(1977) 岡本 眸さん。「秋ふかき目覚め鉄階使ふ音」(眸) 秋冷の夜更け・・隣人でしょうか? 鉄製の階段をカツカツと帰宅する靴音で目覚めたというのです。さて、(ボクたち)が寓居へ来たとき、高野川の河川敷(河原)を歩く鹿(野生)を見て驚きました。あれから、もう、6年あまりが過ぎました。ですから子鹿はもう大人です。北山を「ねぐら」に、河川敷(自然)と道路(人間社会)の「共生」(ともいき)を発見して安らぎました。

  よろこびは、こを明(光明)のをと(音)、
  ざんぎ、くわんぎのなむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4234話

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 (四)「今日の舞いは、比較するものなどあるまいと思われるでき栄えと見た」
 と維盛にお言葉のあった院は、女院のお織物のうちから衣類に紅の袴をそえ、関白をして被(かず)け物を授けさせたので、父の大将重盛りは席を立っておん座に近く進み参り御衣をお受けして、
(佐藤春夫『極楽から来た』)891

       青鷺の風切り羽根や着地せり

 「ボクの細道]好きな俳句(1976) 岡本 眸さん。「水飲んで鈴となりけり更衣」(眸) 衣替えの時候となれば蒸し暑いことでしょう。おもわず冷水をごくりと飲んで、一息、気分をおちつかせ、よみがえるような気分(鈴)となるのはわかる気がいたします。 さて、高齢者は「何事もメモ」をすることです。記憶より「記録」を大切することが賢明です。「ぼ~としてるんじゃねえ!」

  しやばのしく(宿)も、またくれた。
  上をど(浄土)しく(宿)に、なるぞうれしや。
  なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)