木魚歳時記第4150話

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 そうしていよいよ決心を固めて、二十余年住み慣れた叡山黒谷の青龍寺を去ろうと、師の叡空を寺内の慈源房に訪(おとな)うて決意のほどをうちあけた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)814

         蜜まみれ尻から逃げる熊ん蜂  

 「ボクの細道]好きな俳句(1895) 野見山朱鳥さん。「秋風よ菓子をくれたる飛騨の子よ」(朱鳥) 子に菓子を与えたというのです。秋風の頃、飛騨の子が来て、わたしに、菓子をくれたというのです。病弱で子らに何もしてやれなかった作者の嘆きが伝わるようです。ブログ筆者もマイホ-ム・パパではありませんでした(汗)。業(ごう)の深いパパでした。

  ゆくたびも(幾度も)、むねをいためた。
  いまわ、ろくじに、こころとられて。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4149話

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 往生とは死ぬることではない。行って生きるのである。浄土の聖衆のようにたのしく生きる方法なのである。そのところを篤と会得させて念仏の方法を教えたい。法然はもうじっとしていられないのを感じた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)813

       囀りの中で接吻してみたい  囀(さえずり)

 「ボクの細道]好きな俳句(1894) 野見山朱鳥さん。「火の隙間より花の世を見たる悔」(朱鳥) この世(此岸)からあの世(彼岸)を見てしまった悔い! という句意になるのでしょうか? 紅蓮の炎の隙間から見る、さくら爛漫の凄さが伝わります。この作品にかかわらず、見てはならないもの、触れてはならないものに触れてしまう悔いはあるのでしょうか! ボクはあると思います。  

  あなた、わたしに、をもい(思ひ)をかけて、
  わたしや、あなたの、をもいをもらい、
  ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
  なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4148話

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 法然はこの日ごろ常にこう思いつづけていたが、今年のお盆の十五日にも、今度は焼身ならぬ入水往生の人が桂川に多かったという風聞を聞いて、多分去年のお盆の船岡の上人にならったのでもあろうが、人々はこのように穢土(えど)を厭離(おんり)し浄土を欣求(ごんぐ)している。そうして捨てるにも及ばない一命をむざむざと捨てて往生したのはあまりにもいたわしい。
(佐藤春夫『極楽から来た』)812

       お薬を飲んだ飲まない翁草  翁草(おきなぐさ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1893) 野見山朱鳥さん。「落椿天地ひつくり返りけり」(朱鳥) 落椿のあでやかさはなんともいえません。ゾッとするくらい美しく思える時があります。近年、椿の花の咲くのが遅い? 椿そのものに元気がない? 暖冬の影響でしょうか? 気になるところです。天候に恵まれたら椿の花にトライ(撮影)してみたい。

  あなたのこころわ、わたしのこころ、
  なむあみだぶわ、わたしのこころ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4147話

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 この喜びを衆生のすべてに分けなくてはならない。衆生は貴賤老若を問わず、何人もこのように喜んで生きなければならないものだから、わが身ひとりだけ、このように生きるのでは、あまりに果報が過ぎる。
(佐藤春夫『極楽から来た』)811

       蜷の道ここに集まる浮御堂  蜷(にな)

 「ボクの細道]好きな俳句(1892) 野見山朱鳥さん。「万太郎が勲章下げし十三夜」(朱鳥) さて、ボクは、定年退職を機に俳句を始めました(ブログ太字の部分)。ところが、到達点は「俺のもの」と云えるような作品は作れません(汗)。いや、句作のコツすらつかめていません(汗)。でも、始めたことですから、井上ひさしさんの「難しいことを易しく、易しいことをより深く、より深いことを楽しく」を座右の銘として、余日のかぎり、ナムナムと楽しんでまいります(笑)。

       ありがたいな。
  わしのこころを、ろくじ(六字)にこめて、
  なむあみだぶつのこゑでしらする。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

木魚歳時記第4146話

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 こうして命のある限りは、念仏を申しつづけてたのしく、やがて命終る日は浄土の聖衆(しょうじゅう)のお迎えを受けて浄土の荘厳(しょうごん)を見、そこに生きることをわが身かと思えば、今までは事のすべてを厭(いと)わしいものと思った穢土(えど)さええ、折ふしならず浄土に似たところも無いでは無いと思えて美しく、無智のわが身さえ弥陀の慈悲に浴して尊く、真に浄土から来た者のように覚えるようになった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)810

      わき道に酸葉のやうな爺さんが  酸葉(すいば)

 「ボクの細道]好きな俳句(1891) 野見山朱鳥さん。「あたたかや四十路も果の影法師」(朱鳥) 作者はこの年齢(昔の)でこの心境とは驚きです。さて、ボクは、18歳~21歳のとき肺浸潤(結核)を患いました。そしてかなりの期間療養に努めました。そのとき思ったのは、強靭な身体であってほしい! ロストジェネレーション(空白の青春)はやはり辛いでした! なによりま両親に心配をかけました。ありがたいことでした。ともあれ、今は、すかんぽのような爺さんとなり、日々、ナムナムと暮らしています(笑)。

  このこころ、
  ほとけのこころにしてもらい、
  ほとけのこころ、ここでたのしむ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4145話

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 と彼は行住坐臥、思いのまま気楽に就眠前にまた起床の前に、時には厠(かわや)上でも、弥陀のみ名を口称(くしょう)し、阿弥陀仏がこれを喜んで受け給う有様まで眼に浮かぶような気がしているのであった。今は六時礼賛を廃して時々刻々の礼讃をしているのである。  
(佐藤春夫『極楽から来た』)809

        ふらここや到達点は俺のもの  京鹿子(3)

 「ボクの細道]好きな俳句(1890) 野見山朱鳥さん。「鶴を見る洟垂小僧馬車の上」(朱鳥) 飄々として、ローカル色の漂う好きな作品です。さて「俺のもの」の措辞は俳句になじまない! ですが、二束のワラジ(お寺と大学職員)で、無我夢中で奮闘したあの頃(40歳~65歳)を忘れることはできません! 心底から燃焼したあの頃のことです! あのころには、本当の自分(個性)が居ました! ですから、おの頃のことを「俺のもの」と叫んでしまいました!

  だいひのをやわ、よいをやよ。
  わしのこころと、ひとつになりて、
  よいもわるいも、あなたにもたれ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4144話

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 念仏を申すには時も処も選ばない。別に形式はない。申したいと思うときに申せばよいと知って今は、道場の結界(けっかい)のなかで立ってみたり坐ってみたり、行ったり来たりする世話もない、
(佐藤春夫『極楽から来た』)808

       恋猫の二つの耳と二つの目   京鹿子(2)

 「ボクの細道]好きな俳句(1890) 野見山朱鳥さん。「交響楽運命の黴拭きにけり」(朱鳥) アナログ版の演奏を聴くには、それなりの手間がいります! さて、恋猫は、五感、とりわけ「目と耳」が研ぎ澄まされる? さて、ボクは25歳で、知恩院さんへお手伝い(バイト)に上がりました。そして職場で相棒と出会い、朝・昼・晩と、彼女を狙う「恋猫」(3年余り)となりました(笑)。そして、相棒「お持ち帰り」の目途がつくと、知恩院さんを「お・さ・ら・ば」しました。怪しからぬ小僧でありました(汗)。

  だいひのをやわ、ふしぎのをやよ、
  さいちのこころをうけとりて、
  いまわ、くわんぎの、はなをさかせて。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)